Wall Surrounded Journal

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20090309農業分野で「労働者として」働くことについて

今年は日本の農業界にとって大きな動きがあるかもしれない。農水省農地法改正を検討しているからだ。


もし法個人の農地取得または貸借に関して、将来的にアメリカ規模の農業が実現するまでに緩和が進むとしたら、日本の農業はこれからさらに拡大していくだろう。
だから、私は今年の農水省に期待の眼差しを向ける。これまで食の安全を守らなかった彼らでも、日本の農業を少しずつでも変えていく気があるならば応援したい。


最近、国防の話となれば必ずと言っていいほど軍備増強や核議論、9条のどうのへと向かいがちだが、そういう人ほど、エネルギーや食糧のことを考えた方がいいと思う。
一時期流行った「輸入がすべて止まったらこのメニューはたったこれだけになる」という話はナンセンスだが、そこに国防という目線を入れるならば意味はあると思う。
農生産が拡大すればエネルギーを得ることも出来ることは、昨年までの飼料作物を中心とする食物価格の高騰が証明している。

日本という国が今後の混沌とした世界を生きていくためには、農業の進展は車業界の拡大よりもはるかに意義があるのだ。


そうした議論を抜きにしても、ただでさえ活用されない農地(リソース)が増え、農業人口(競争相手)が減り、世界的には市場拡大がほぼ間違いなく期待されるとあらば、進出しない理由を見出す方が難しい。私は今の仕事を辞めるつもりだ。(今年ではないがおそらく今年中に満足いく農地法改正案が通るならば来年じゃないかな。)
その際、農地開放後を前提とした農業で興したいという話は、今、誰にも隠さずに打ち明けている。だからこそ、今年の農水省にはいい意味で期待しているのだ。



そして今や第三次産業が景気に合わせて非正規労働者を雇用の調整弁として使う時代、そんなコマ並みの扱いが災いか幸いか、農業界で働きたいという人が増えているらしい。


だが敢えて言うと、今から農業労働者へシフトすることに意味はあるのだろうか。


農作物は未だに安すぎる。しかも、我々が安全性に求める期待は大きいものの、それに見合うコストは負担していない。(だからと言って国に負担しろという意見では決してない。)
さらに、農作業はかなりキツい。現時点での日本の農業は生産性も低いままだ。

つまり、彼らは安く、キツく使われるしかないのだ。
まぁ、生活さえ出来ればいいということならまだ分かる。が、農業に何らかの希望を見出した結果、農業労働者へのシフトを考える人がいるならば、それは間違いだろう。歴史的にも農業労働者や小作農の扱いと生活は厳しかったし、今後も前述の理由からきっとそうだ。


安全に管理された農作物を安く求める人やスーパーが多い現状は、作物の産地やブランドの偽装等の不正や、彼ら農業労働者が安く使われてしまう状況を作り出しやすい。消費者意識はこれからもしばらく変わらないだろうし、日本の農業が日本にしかマーケットを求めない限りはこの状況は変わらない。


全体的に見れば、我々は知らず知らずに自分たちで自分たちの首を絞めているのです。
それは言い換えると、消費者が農業労働者、あるいは市場開拓を出来ない農家の首を絞めているのということではないでしょうか。まぁ、そんな農業を続けている方が自殺行為と言われれば、否定できない側面もあるでしょうが。