結局、日本人は年金問題を解決したいと思ってないのでは?という視点
私の好きなブロガーに「Chikirin」という方がいる。
どの文を読んでも頭が良く、かつ、他人のことを考えて書いてるな、また、それを利用しているな、と思うのです。
これが無料で読めるんだからネットというのは素晴らしいよ。是非「Chikirinの日記」でググってほしい。
その方の「ちょこっと解説編」というエントリなんだが、実に興味深い一節があったので紹介したい。
「解決されない社会問題の多くは、社会が解決しなくてもいいと思っている問題なんだな」
彼はその例を「保育所が永久に足りないであろう」理由に関する考察により示している。
簡単に言えば、1つの地域で保育所を増やせばそれだけ、もしくはそれ以上に保育所を求める人がそこに集中してしまうこと、つまり、保育所市場というのは「永久に足りません」市場ではないかという指摘であった。
そして、その需要に対して供給量を調節できる立場にいる政治家は「永久に足りないかもしれないものを少しずつでも増やすこと」を怖がっているのではないかということであった。
なぜ怖がるのか?
私はそれは仲良し同志の子供の集団がいて、その一部にチョコレートを与えることと変わらないからと思う。
貧しいスラム街で1人にお金を恵むことと変わらないからだと思う。
だからこんな市場に供給することを戸惑うのだと。
そこで政治家が怖いから変えなくてもよいと考えることに対して人々が変化を実現するために政治家を脅すことが出来なければ変わらないよね、と。(この部分はちきりんさんの考えと違う可能性があるので悪しからず。)
んで、年金。
私はこんな現役世代がさらに苦しむことでしか支えられない制度は不要だと思っている。まぁ「不要」という主張を除いた部分は少なくともあなたも首を横には振らないでしょう?
だけども、日本人はこの制度をやめにしよう、とは思わないんだ。
だってやめにしない限りは年金制度、これって政治家が考えている選択肢のどれを選んでも、維持する=現役世代が更に苦しむってことなんですよ。
なのに。
分かってても年金制度をやめてほしいって声はなかなか出ない。そのくせに社保庁や官僚には言いたい放題。
だったらやめりゃいいのに。何を日本人は守っているんだろう。だから私は年金をやめてもお年寄りを養える方法を考えてみた。それは多数の方に否定されたから別にここでは明かさないけど、他に納得いく方法を提示されたわけでもないので、どっかのブログには一応まだ載せているのです。
それで、ちきりんさんの主張にこじつけると。
政治家も官僚も年金制度をやめる、となればこの国で彼らがせっかく作ってきた生きる糧(高速道路や農協や妙な公益法人やら)を次々失うきっかけになるんじゃないかって。
少なくとも最悪「そのとき」になれば怖くなるよね?って思うのです。
これは仕事明け、ビール片手に勢いだけで勝手に書いたことなんで「はは、バカだね」と笑い飛ばして一向に構わないわけだけど、笑うだけで思考停止して欲しくないな、とは思うのです。
あぁケータイだるい。
寮に早くネット導入したい昨今。