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Wall Surrounded Journal

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デフレーションを整理する - The Good, the Bad, and the Ugly

昨年暮れに日本政府がデフレ宣言をして以降、また、宣言前でも日本を長期に渡って苦しめるデフレについて多くの人が議論をしてきました。
よって、デフレという言葉はかなりの市民権を得ることとなりました。
ですが、だいたいこういった以前は使い慣れなかった言葉が急激に流行る際にはその言葉の定義や、真にどういった意味を持つかは精査されない傾向があります。

今回はSteven Horwitz氏の記事「Deflation: The Good, the Bad, and the Ugly」を翻訳することで「デフレーション」という現象を貨幣的均衡の考えから見ていこうと思います。

原文を読まれることをオススメ致しますが、そのような時間もない方の一助とでもなればと、以下に翻訳致します。
大学時代も翻訳などやらなかった上に、筆者の意図せざる表現や言葉の追加、排除を行うなど比較的自由に超訳しておりますので、より適切な表現などがあればコメント欄またはtwitterにてご教授いただければ幸いです。

なお、本稿はアメリカ経済をベースに書かれておりますが、同様の議論が日本には適用できないなどということはないものと思っております。





"Deflation: The Good, the Bad, and the Ugly"
By Steven Horwitz


最近のリセッション(景気後退)の間に多くのコメンテータが、主に株式相場の急落や金融分野で悪化し続ける諸問題のせいで、それと1930年代の大恐慌との対比を繰り広げてきた。2008年の秋、数十年ぶりに原油価格の急落に見舞われたのに引きずられる格好で別の大恐慌への懸念が人々の前に現れてきた。デフレーションである。
多くの有識者が極めて正しく指摘する通り、1929年の株式市場でのクラッシュ後に訪れたデフレは、一時的なものと予測されながらも、さらに深刻化すると思われていたリセッションを大恐慌へと変容させる1つの主要因であった。
こうしたデフレへの恐怖感とデフレが与えたダメージのおかげで、今ではデフレの良し悪しや、歴史的に如何にそれが経済への大変動を巻き起こしてきたのかを把握することはよいことだとの議論も見受けられる。


デフレを理解するカギはそれを「良いデフレ/悪いデフレ/醜いデフレ」と明確に区別することです。そのためには、いくつかの用語と定義を明確にする必要があります。
まず最初に「デフレーション」そのものですが、これは通常「物価水準の継続的下落」を意味します。そんなデフレを人々が何故「悪い」と考えるかは疑問ですよね。結局、「モノが安くなる」ことの何が「悪い」のでしょうか?
1つには、通常「価格」は「賃金」を含めて考えられるので(ただし、後ほどで述べる「醜いデフレ」ではこのケースに当てはまりません)、低価格で得られるものは何であれ、以後更に低くなる賃金によって相殺されます。

ですがもう1つには、この「デフレ」は価格が下落していくというプロセスが経済にダメージを与えるか否かについては何も述べてはいないのです。
(インフレについて、「価格が上がっていけばあなたの給料も上がっていくだろうから公平じゃない?」とは言えないはずです。すべてのインフレが良いものではないことを我々は知っています。我々は価格上昇プロセスについてはそれが単純な事象ではないということを十分に知っていますし、それは価格下落のプロセスについても同様なのです。)


こうした定義をした上で、我々にはさらなる価格下落の「原因」について区別が必要です。総合的な価格水準の下落は大まかに次の2つのことに端を発します。

1.経済全体の効率が改善すること
(財の相対的な希少性の現象=商品が普遍化すること。珍しいものでなくなること。)
2.貨幣供給量の減少
(カネが回らなくなっていくこと)

1.を「価格デフレーション」、2.を「金融デフレーション」と区別してみましょう。このとき、「価格デフレ」は始めのほうで述べた「良いデフレ」となりますし、「金融デフレ」は「悪いデフレ」となるばかりか、「醜いデフレ」となってしまうこともあります。


「良性デフレ」とも呼ばれる価格デフレーションは経済成長の果実であります。
(または、そうであるべき、といったところでしょうか。)
何故かを見るためには金融デフレから見ていくと良いでしょう。
インフレとデフレの双方を理解するためには、貨幣需要とは「マネーを持ちたいという需要」であることを認識することが必要です。
我々がお金を使うとき、実際それは貨幣を持ちたいという需要の「減少」ということを意味します。
我々はそのとき、富を貨幣から買いたいモノへシフトしているのです。これは貨幣という形式よりもそのモノの方が持ちたいということを意味するのです。
このように、貨幣や預金口座の残高という形式で保持したいという需要を貨幣需要という認識と、また、そのマネーや残高の実質購買力に留意する必要があります。(分かりやすく言えば、持っている紙幣に何円と書いてあるかではなく、それでどれだけの買い物が出来るかが重要だ、ということです。)


これまでの議論をまとめますと、優れた金融システムというのは「ある時点での価格水準における、公共が望むぴったりの量のマネーを供給するもの」であるということです。
こうした貨幣的均衡論と呼ばれる見方が、「すべての貨幣供給の増加が即ちインフレを意味するものではない」ということを意味するというのは注目に値します。
貨幣需要が上がれば、それに見合うように貨幣供給を増やすのが適切な金融システムの反応であるということです。
このあとに述べるような金融デフレの議論の中に、何故に貨幣的均衡論者がこのような主張をするのかが分かるでしょう。


The Good 「良いデフレ」

金融システムがもしも貨幣需要の変化に貨幣供給の変化をマッチさせ、機能しているならば、物価水準は長期的には経済の生産性が増大するにつれてじわじわと下落していくのです。言い換えれば、生産性の増大は財やサービスのコストが減るにしたがって良性デフレを引き起こすのです。
この種のデフレーションは有害であるどころか実質の生活コストを下げるので有益なものなのです。
アメリカでは、これはまさに19世紀の最後の数十年間に価格水準において起きたことです。
これは金(gold)にリンクした前の連邦準備体制がまさに、その時代に合ったマネーサプライ(貨幣供給)に非常に効果的であったために、生産性がゆっくりと着実に価格水準を落としたからなのです。
最近の数十年間でも同じような生産性向上による価格下落の圧力はかかってきました。しかしながら、FRBがそれを上回るようなインフレ政策を行ってきたために、生産性向上デフレの圧力にもかかわらず価格水準は右肩上がりを続けたのです。


この見方が1つ暗示するのは、消費者物価指数(CPI)はある経済における実質のインフレ政策を軽視するのだということです。
たとえば、もしも生産性向上がもたらす価格デフレが毎年3%の物価下落圧力をかけ、過剰なマネーサプライが同じく3%の価格上昇圧力をかけるならば、インフレの度合いを表すような経済指標はその経済について「物価水準に変化がない」ということを示すでしょう。
しかしながら貨幣的均衡論に立った見方では、そのような価格の不変というのは本来起きているはずの3%の価格下落を、隠れた3%の価格上昇によって実現された「見せ掛けの不変」であると見るのです。


程度問題はありますが、生産性向上がもたらす様々な財の価格下落は良いもの(The Good)です。
主要な財が普及すること(相対的に希少性を失うこと)による価格下落も同様に問題ではありません。
2008年秋の原油価格急落はアメリカの平均的な価格水準の下落への大きな原因となりましたが、これがデフレーションについて大きな関心を集める出来事となっています。
しかし、この種のデフレーションは心配することでも、また大恐慌との類似性を保証するものではありません。
実際、このケースでの原油価格の下落はガソリンを安くすることで、多くの家庭のおカネの不安を解消するなど、今回のリセッションの初期における景気悪化の進展を十分に軽減させる効果を持っていたと思います。




The Bad 「悪いデフレ」


「悪いデフレ」というのは貨幣供給の不足から生じます。人々が十分なマネーを持っていないということであれば、彼らは各々の富の中身においてマネーが占める割合を増やそうと思うでしょう。
短期に収入増大が見込まれない場合には、人々は本質的には「他の資産を売り払う」か「支出を減らす」か以外に選択肢を持ちません。
ですが、この議論において資産の売却は次の2つの理由で、機能するかどうか疑問があります。まず第一に、買い手を必要とする点で売却価格を売り手単独には決められないこと。
もう1つはもしも全員がマネーの不足に見舞われれば、買い手を見つけることが非常に難しいためです。だってみんなが売り手なのですから。
それ故に、ある経済のマネーショート(おカネの不足)では人々は支出を切り詰め、収入をマネー(貨幣または口座残高)として残そうとするのです。


人々が支出を減らすにつれ、企業の売上は減少します。この収益下落は労働者に更なる支出減を強いることになるかもしれませんし、我々がデフレスパイラル(こうした支出減→売上減の繰り返しというスパイラル)として理解するものに発展していくかもしれません。
企業は作った商品の数以上の売上を想定していたために、前述の支出減は企業の売れ残り在庫を増やします。
こうした背景を認識するまでは、企業は商品の価格を下げようとは思わないでしょう。だって何が起こっているか分かっていないのですし、商品のコストが下がるであろうことを見込めないならば、それは損失の拡大を意味するのではと企業は怖れるであろうからです。
一般的には需要鈍化がもたらす価格下落圧力が実際に価格を下げる程に強くなるまでには時間がかかります。
価格が高止まりを続ける間、我々は在庫の積み上がりだけでなく失業率の増加に見舞われるでしょう。なぜなら賃金が高止まりしているときの売上減少は労働需要を減らすためです。
こうして金融デフレーションは少なくとも数ヶ月以上に渡る企業活動の減少と失業率増加の期間を生みます。失業は企業が在庫の解消に努力し、次の生産に必要な人員を再び確保しようとするまで長引くでしょう。
もしもそうしたデフレが、それまでにインフレが作ってきた過熱気味な風潮をリセットする回復期間であるのであれば、こうした問題は過熱気味な風潮を取り除くために必要な資本と労働の通常の調整過程が、デフレが生んだ資源のムダが頂点に達するにしたがって拡大していくでしょう。


アメリカの歴史上、その経済は金融システムにおける様々な政府介入の結果としての、いくつかのデフレ・エピソードに影響されています。
大恐慌以前のこうしたケースでは、政策立案者は主に傍観することをもって経済の見えざる手を尊重し、基本的には需給のバランスが自然に回復するまで待っていたものでした。
これらはそんなのらりくらりの、前述の問題を引き起こしながらの価格調整メカニズムではなくむしろ、貨幣需要に対し素早くマネーサプライ(貨幣供給)を調節するバンキングシステムによって避けることの出来たはずの、痛みを伴う景気後退であったのは疑いようがありません。
しかし、それらがどれだけの痛みを伴おうとも、政策立案者はそうした起こるべき下方の調整を認識していましたから、景気後退は「醜いデフレ」にはなりませんでした。


The Ugly 「醜いデフレ」

大恐慌の時代には、「悪いデフレ」であるべきだったものが「醜いデフレ」になりました。
このときの、前に述べたような初期のデフレ現象との違いは2つあります。
まず1つ目に、そのデフレのスケールが比類なきものであったということです。
株式市場のクラッシュと銀行の破綻の結果として、貨幣への需要が実際に上昇した1929-1933年の間にアメリカのマネーサプライ(金融機関と中央政府を除いた経済主体が保有する現金・預金通貨の合計 )は30%落ち込みました。
この相乗効果は価格に大幅な下方圧力を加えたのです。
FRBはこの間、積極的にはマネーサプライを落としませんでした。民間と銀行が取っていた行動(例えば、民間が銀行の預金よりもむしろ通貨を保有し、トータルでのマネーサプライを大きく減らしていた)に十分に反応することが出来なかったのです。

2つ目には、そのときの政策立案者が採用したのが復活へのカギは「デフレ前の水準の価格と賃金を”維持する”こと」という視点だったということです。

こうした見当違いの価格や賃金の「維持」という試みの効果は悲惨なものでした。
企業は不当に高い賃金を支払い続け、一方価格も高止まりを続け、売上も縮小しました。
それらは利益の外で損失をカバーし、幾分かの企業は破綻にあえぎ、その他の企業は株価の大幅な下落に見舞われました。
これが民間投資の縮小に寄与し、企業も次の活動のための資金の原資となる利益を失っていましたから、景気の落ち込みを長期化させました。

もう少し乱暴に申し上げますと、賃金の高止まりが大恐慌のゾッとするような失業率の原因となったのです。(1933年には約25%のピークを迎えた)
1934年前後になってやっと失業率を下げ戻しだすべく価格と賃金が十分に落ちたのです。
しかしながら、そうした価格の下落にもかかわらず、投資家は政策立案者の初期の失敗と絶え間なく変化する政治情勢を鑑みてリスクテイクを避け、失業は歴史的に高い水準であり続けました。
大恐慌の時代、1931-1940年の間に失業は14%超であり続けたのです。

貨幣的に物事を観察する人々の中では正しく、大恐慌をデフレの対応違いの例として捉えています。
1930年代初期の非常に大規模だった金融デフレが1929年の夏に始まったリセッションを、以前のものよりもかなり深刻なものにしたことは疑いようがありません。
しかし、そうであったとしても、もしも価格と賃金が調整を受けていたならば、「醜いデフレ」よりもマシな「非常に悪いデフレ」程度のもので済んでいたはずです。
金融デフレの期間の賃金と価格の高い水準での維持は清算(cleansing)価格による調整を妨げ、売る側に生産調整や歴史的な水準となった失業といった形式による「数」の調整を強いたのです。



※翻訳元はこの後「Avoiding the Last Big Mistake(過ちを繰り返さないために)」と更に続きますが、本記事の目的は果たしたので、一応訳はここで終了いたします。