Wall Surrounded Journal

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Cost of Intolerance

火曜日のことだが、紫音(@sionsuzukaze)さんに初めてお会いすることが出来た。
会いたかった人に比較的容易に会える東京はステキなところだ。いつもそう思う。
お互いWeb用の名刺を交換、紫音さんは実年齢以上に見た目がとても若かった。


新宿の格安居酒屋に2人して入った。
お互いビールを飲んだ後だったので、低価格店特有の薄い酒を頼む。
初めての会話もそれなりに盛り上がった。紫音さんは営業経験が豊富なだけにとても話しやすかったし、一方的な会話もまったくなかった。


その中ではいろんな話をしたのだが、とあるタイミングでふと、東京にはスラムがない、という話になった。
ここで私がふと思い出したのはChikirinの日記/“格安生活圏”ビジネスだった。


詳しくは一読していただければよいのだが、一言でその内容を引用するとすれば、「日本の大都市圏内に物価が圧倒的に異なるエリアが存在しないというのが日本の貧困が辛い理由だよね」ということが今回の内容にあたる部分です。



さて我々の会話に戻る。
その会話の中でも特に紫音さんの指摘で興味深かったのは、「貧困者に住居支援をした方が、後々のコストを考えたら安上がりではないか」ということでした。
要は公営住宅がもっとあった方が、その増築・改修・維持費トータルコストを今のうちに払っておいた方が、将来時点で結果的に安いのではないのかということです。


要約にはなっていますが説明にはなっていませんね。
つまり、治安面、労働参加率改善(住所がないと職には就けない)等を考えると公営住宅による対策の方が安上がりではないのかという指摘です。
これは私が後から考えたことですが、生活保護費とその居住費も相殺されるように思います。


さらに持論ですが、日本ではまだまだ人口減少化の空き家の問題に対応出来そうにありません。
これは私が以前にも書いたことですが、このリソースをどうにか社会がうまく活用する方法を考えていくことは非常に重要なことです。


さて、確かにアメリカを考えてみると、日本社会が銃社会を必要とする可能性まで考えると、貧困放置は膨大なコストになりそうです。
もちろん、単純に住居を与えれば未然に何事でも防げるわけではありませんし、この国が銃社会になるなんて、現状はよもや想像すらつきません。
それを比較するのは無理があるようにも思えます。


ただ、我々の社会制度は欧州というよりはまだ幾分アメリカを向いているので、その方向の先を見ておくことは無意味ではないかもしれません。
民主党OECD水準を意識しようというのが政権交代前後の主張だったはずなのに、もう断念しているわけですからね。



ですがやっぱり私としては、自分だって厳しい状況下、そんな彼らに負けないように闘っているわけなので、彼らにやるカネがあるならまだ自分に投資したいなぁなんてこともその場では言っていました。おそらく率直な感想だったと思います。


しかし多数がそう思うのであれば、格差拡大状況下では、Chikirinさんの言う通り「格安生活圏ビジネス」が貧困者にとってベターな解になりそうですね。
間違っても、それを「貧困ビジネス」と呼ばないようにしないといけませんね。



ただ、そこで立ちはだかる現実は、日本人がそのビジネスに対して寛容であるかどうかという問いです。
もちろん、あまりにも非人道的なものは許せるはずもありませんが、重要なのはその判断の程度問題です。
もしも、そのポイントが貧困率のある臨界点まで上昇しないとブレークダウンしていかないのだとするならば、ひょっとしたら、それはこの国にとって悲しいことなのかもしれません。


もちろん衛生面やら何やらで基準を作っちゃうと、それらは多分にアウトなんでしょうけれど、生活していけるだけマシだったりするじゃないですか。
こういうことって中々、フツーのオトナの方々には申し上げ難いのですよね・・・。
確かに格差を視認するのはとても辛いことではあるのですが、それからさらに目を覆えない時代も遠くないようにも思います。