Wall Surrounded Journal

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法人税減税は起業を加速させるか

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菅政権が法人税5%減税を税制大綱に盛り込んで早3ヶ月。
その後、アメリカでも法人税減税 *1 の議論が加速したが、残念なことにそのどちらも予算を通すのに苦労を重ねている状況が続いている。


そんな中、先月財務省政策総研から「わが国における起業と税制(.pdf)」というディスカッションペーパーが出ている。

これは日本での起業活動が諸外国の後塵を拝している現状*2と、「将来的な供給不足が懸念されていることに加え、これほど経済社会の構造変化が激しい時代において、リスクを恐れず新規分野を開拓する果敢な挑戦者を政策・制度面から育成することは、わが国経済の持続的な成長を実現する上でも極めて重要」という展望を踏まえて行われた日本における税制の起業活動に及ぼす影響を推定したもので、こうした研究は国内では先例に乏しいという。
説明変数には各種税率だけでなく経済環境等も盛り込まれているが、ここでは税制についてのみを見ていこう。*3


結論から読むと、そこには

所得課税は自営業による起業にプラスの効果、法人課税はマイナスの効果を及ぼしており、アメリカにおけるいくつかの先行研究とほぼ同様の結果が得られている。一方、法人による起業に対しては、一部の例外を除いて、所得課税及び法人課税の税率の係数推定値についてともに有意な結果が得られなかった。

とある。


実証分析の結果を順番に見ていこう。

個人の所得に対する課税緩和(すなわち所得減税*4)は、総務省「労働力調査」の「自営業主」(農業・林業除く)を「就業者総数」(農業・林業除く)で割った「自営業主割合(ER1)*5」を減らす方向に(1%有意で)働いていた。

つまり、所得減税が個人の起業を阻害した格好となっているわけだ。
これを筆者は「租税回避を目的として事業主化する魅力が減退する効果が比較的強いから」と考えている。所得税が安いのなら、わざわざサラリーマンせずに起業するうまみはそれだけ小さくなる。
ちなみに、ここでの所得税率は政策シグナルを表すものとして最高税率が使われている。


ただ、法務省「民事・訴訟・人権統計年報」の「設立登記数」を、国税庁「税務統計から見た法人企業の実態」の前年の法人数で割った 「設立登記割合(ER2*6)」と厚生労働省「雇用保険事業年報」の「保険関係新規成立事業所数」を前年の「適用事業所数」で割った「保険関係新規成立割合(ER3*7)」における推定では有意な結果が得られなかった。

これについて筆者は「租税回避の恩恵がある一方で、所得税による雇用コストの増大がマイナスに寄与し、影響の方向が定まらない状態にあるからか、若しくは法人での起業段階にある者にとって所得課税の増税による法人課税の相対的な優位の発生はさして重要ではないから」と推察している。
所得税の減税は確かに起業のインセンティブを奪うものの、同時に新たに労働者を雇うコストも減少させる。個人事業新設よりも新規法人設立の意味合いがより強くなるサンプルではそうした相殺効果が大きくなってくるのかもしれない。

ただ、ここで所得課税について先程の最高税率ではなく、平均給与の納税者が直面する税率を用いて分析を行うと、ER2での推定においても(10%水準ながら)有意なマイナスの結果が得られている(所得課税強化が起業のインセンティブを減らした格好となっている)。この点、筆者は「平均値に近い賃金を給する従業員を雇う上でのコストの増加が起業のインセンティブを低める」のではと結論で触れている。


さて、それでは肝心の法人減税の方はどうかというと、こちらの減税は先程のER1とER3の2つの指標を(5%有意で)増加させている。つまり、法人減税は将来の法人化を目指す起業家のインセンティブを高める効果は比較的強く、起業を促しているようだ。
なお、ここでの法人税には中小企業に適用される軽減税率(法人税+法人住民税+法人事業税。軽減税率が複数ある場合には最低税率)が用いられている。

一方で、法人による起業のみを対象とするER2による推定では有意な結果が得られていない。これを筆者は、「将来の法人化を狙う起業家とは違い、既に法人としての起業段階にある者にとっては、所得課税も含め税制の要因がさして重要ではないから」と推察している。

ちなみに、本ペーパーでは「複数期前までの税制変数を用いた分析」も行われており、そこでは法人課税の税率については、1期前の係数推定値のみが1%の水準で有意なマイナスとなっており、ここでも、法人税の引下げが“将来の「法人なり」を目指す人々”のインセンティブを高めている可能性が示されており、ER2による推定で有意な結果が出ない理由を後押ししている。


これらの分析について、筆者は以下のようにまとめている。

個人事業主として起業する段階では所得課税及び法人課税の要素がいずれも重要であるのに対し、法人として起業する段階では、起業家にとって税制要素はさして重要ではないと推察される。

これは本レポートで非常に興味深い点である。
つまり、「法人として起業する」段階まで来てしまえば、その起業の意思にちょっとやそっとの税制変更が及ぼす影響は非常に小さいのではないかという分析結果だ。
この日本ベースでの分析結果は法人税率同様に、欧州よりも米国に近いものとなっている点も併せて興味深い。


もちろん、今後の国内需要の構造的縮小、またインターネットの発展による開業資金の抑制を背景に考えれば、法人というよりは個人事業主として起業する方がやりやすい環境にはあるわけで、その場合法人減税の効果は大きい。
ただ、これはサラリーマンから法人・自営業部門への所得シフトに過ぎないのではという疑問を拭い去ることは案外難しい。
経済全体のパイが膨らまない限りは部門間の所得シフトに終わる可能性があり、その場合、本レポート調査の趣旨である起業を制度面で支援することにより「持続的な成長」を実現することには繋がりにくい。
こうした点、”isologue”でおなじみの磯崎哲也氏も「起業のファイナンス(P80)」でベンチャー企業について「時価総額で考えたとしても、そうした起業は日本の500兆円のGDPや1,400兆円を越える個人金融資産の数十万分の1、数百万分の1であり、マクロ経済に与える影響が大きいとはちょっと言いにくい」と述べています。


また、ここでは触れられていない法人減税による国際競争力強化に関しては確かにその側面はあるのでしょうが、その影響が大きい企業においてはその他の社会保障負担と併せて見ていく必要があり、以前も書いた通り*8、複合的に見て特に日本の企業負担の現状が諸外国に比べて「高すぎる」とは個人的には思っていないわけで、法人税だけが議題に上ったのも幾分不思議には感じている。それでもそこだけイジれるのであれば、競争力は増すっちゃあ増すんでしょうけど。


まぁそうは言いながらも私は法人税はゼロが自然だと思っている変わった人なのですが、そういうワケにもいかないようなので、個人的には法個人フラットな税制を期待したいところ。*9

あと、最後に一応。
本レポートにもあるように、ここまで分析しておきながらも税制だけで起業活動を活発化させることが難しいのは言うまでもありません。


起業のファイナンス ベンチャーにとって一番大切なこと

起業のファイナンス ベンチャーにとって一番大切なこと

*1:ガイトナーさんによれば日本より踏み込むらしい

*2: [f:id:call_me_nots:20110306051705p:image]

*3:ここでは国際競争力とやらには全く触れられていないことには注意されたい。

*4:そういやある意味これも一部で政治的に流行ですね

*5:ストック値であるため、ER1 は起業活動を間接的に測るものでしかないことに注意が必要。すなわち、「自営業者(主)数」の変化は、自営業の「開業数−廃業数」に等しいと考えられるため、起業のみならず廃業の影響も含めた数値であることに留意が必要と筆者。

*6:ただし、設立登記数については、法務局に届出を行った企業に限定されるため、自営業による起業を把握できないという欠点があり、既存の個人事業者が法人化する、いわゆる「法人なり」のケースも含まれていると考えられ、必ずしも新規開業の増加数を意味していない点は注意。

*7:こちらは雇用者のいない法人や個人事業主の把握ができず、事業所単位であるために会社単位での把握ができない

*8:海外に出たい企業は労働コストを最重要視している。 http://d.hatena.ne.jp/call_me_nots/20091025

*9:今回の議論では繰越欠損のルールなどは考慮していませんが、フラット税制期待だったらやっぱ永久を望むかなぁ。