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Wall Surrounded Journal

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3・11:「戦後」の終わり

戦後レジームからの脱却」という前向きなようで前向きでないような言葉を理解しているようなフリ*1をしていたあの日から数年。
その間、個人的には全く意識してこなかった「戦後」という言葉が、車が、家が、街が津波に飲み込まれるあの惨劇を映像で見た人々の口から少しずつ出て来ているのを感じている。


原子力政策はふりだしにとは言わないが、だいぶ後退せざるを得なくなった。
いや、きっとそれを「後退」と呼ぶべきではないだろう。
この文章を書き終わるときにはその一文を挿入した意味を噛みしめていたい。


興味深いことに、われわれは時折「3月11日から世界が変わった」というようなことを言っている。
マスコミは相変わらず記者会見で罵るし、国民の独自の判断に必要な情報が公開されない国家の情報管理も一緒なはず。
なのに、何故こんなことを言うのだろう。

あくまで私見だけど、それは自然と、それまでよりも一段上のレベルの「思いやり」を発信し、同時に受け取っている自分に、それぞれが気付いたからなんだと思う。

(1)「大規模停電を避けるために自分が節電しなきゃ。」…過去に原発が停止していたときに、*2こんなに実際に行動に移していただろうか?
(2)「東京電力から出される計画停電についての情報が二転三転しているけど、初めての事態だし仕方ないよね。」…気がついたらマスコミだけが怒っていたという構図になっていたかも?
(3)「少しでも寄付をしたい。持ってるポイントも寄付できるみたいだし。」「私達は災害に関する情報を集めるサイトを作ったよ。」…復興させるための「自分の仕事」とは何かを1人1人が意識している。


これらは「思いやり」なんだけど、ボクには未来を感じさせる「思いやり」だった。


(1)では、首都圏の個々人と団体が、目前の危機を回避するために手を取り合って行動したという事象だ。確かに計画停電は行われているが、意識の高まりはそれを軽減することを可能にしている。少し大げさであることを自覚的に誇張するならば、(一時的にではあるが)政府や公益企業の管理なく、我々は公共の福祉を実現したわけだ。

(2)では、大手メディアの見せる感情に冷静に対峙した我々という構図を感じた。そのギャップは今では逆流して記者会見の現場に反映されたようにさえ見える。これは我々が思い描く未来のワンシーンではないだろうか。

(3)では、我々はこれまでにないほどの種類の資産を巧みに操り、1人1人が積極的に自分の出来ることで復興のために分業*3している。


他にもいろいろあるだろうが、もうこれである程度言いたいことが言えそうだから例示は終える。
我々はこれをやったんだし、今やっているんだ。


要は、2011年3月11日、ついに「戦後」が終わったように見えたんだ。
1つ確信できるのは、「戦後」とは上から脱却しようと言われて脱却するものではなかったんだ。
我々はこれから復興し、新しい日本の在り方をきっと見つけにいくんだ。


もちろん、その過程は非常な困難を極める。復興だけでさえ大変なのに。
でも、その新しい発見に向けた試行錯誤は自然に思えるだろう。だからきっと苦だけではない。



「こうなった以上、新しい日本のエネルギー政策はどうしようか?」
それは即ち「首都機能はどうしたらよいだろうか」という問いでもある。
そして、それぞれの地方は「地方として何を負担し、どんな見返りを期待するか」という問いをそれとトレードし始める。
そうなれば、これまでの地域主権論や、下らない州構想だって、戦後の世界に留まってはいられない。


私達がそれぞれどんな思いやりを発信し、同時にその裏で、全体分の一(1/n)としてどんな思いやりを受け取っているかに我々が思いを張り巡らせるたび、『「戦後」の終わり』たるポスト311の世界はきっと我々に顔を出してくれるだろう。
思いやりドリブンな社会が、いま、ところどころで我々によって分担されているのだ。

*1:私は当時、今で言うネトウヨに分類されていただろう

*2:多少背景が異なるとはいえ、

*3: http://d.hatena.ne.jp/equilibrista/20110317/p1