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きゃりーぱみゅぱみゅは「不思議ちゃん」なのか:松谷創一郎「ギャルと不思議ちゃん論」

「怖ろしい本だ」――。
これが本書を読み出して最初に思った感想である。

BOOK

ギャルと不思議ちゃん論: 女の子たちの三十年戦争
松谷 創一郎
原書房
売り上げランキング: 10734

 
なにが怖ろしいのか。
一番は著者が行ったリサーチ量なのかもしれないが、それと同等の驚きが、本書を書いたのが男性であるという事実である。

これを読む前には、このネタを当事者目線で語れる女性ライターが書けばリアリティがありそうでいいのにな、と思っていたのだが、読み進めて30分もせずにその想定が甘すぎたことを知ることとなる。ちなみに、それを知ったときには若干の寒気がしたことを覚えている。

こういった文化に全く興味を持って来なかった私にとって、なるべく客観的に女子文化を整理してくれる本書は非常に読みやすかった。なにせ、松谷創一郎という男性の目線は、ジェンダーからも客観的なのだから(ここが寒気がするほど怖ろしかった点)。

本書の構成の特徴は、各章立てがあり、その合間に著者自身の体験ベースで女子文化について述べているコラムがあるというものだが、その構成ゆえに著者の主観が本編に我が物顔で登場することを回避する努力がみられている。
合間のコラムは具体的記述ゆえに本人の体験ベースで語られることが多いため、まずは客観的に読みたい自分は後回しにして読んだが、コラム部分は直近20年のリアルな東京が語られている感じがして、こちらも面白かった。

 
本書のそうした構成の中にあっても、本編上で主観に基いて語られる主題がこのタイトルである「ギャル」と「不思議ちゃん」という対立概念だ。

ただ、そうしたことからも、本書の紹介文は

コギャル、アムラー、ガングロ、egg、蛯原友里、age嬢、戸川純シノラー、裏原系、Olive、CUTiE、きゃりーぱみゅぱみゅ……80 年代前半から現在までを、ギャルと不思議ちゃんという視点で切り取ると、見えてきたものは。
女の子たちの生存戦略の30年史をときあかす。

となっているのだが、ここから「見えてきたもの」を取り出すのはなかなかに難しい。

そこで私は本書を「不思議ちゃん」という存在・概念を整理するために「ギャル」概念を利用したものだとして読み進めていった。
(またいつものように、記事をシェアしていただける方はコチラからお願いできると幸いです。)

「”不思議ちゃん”とはなにか」の前に

本書の第3章「不思議ちゃんとはなにか」で、著者はまずはじめに篠原ともえを取り上げる。
1996年ごろにブレイクした彼女はキッチュなファッションに身を包み、ランドセルを背負っては「くるくるぅ~」や「グフー」などと独特の奇声を上げながらハイテンションで人気音楽番組「LOVE LOVEあいしてる」にもレギュラー出演。

彼女は当時、女子高生真っ只中。そして、この時期はまさに「コギャル」全盛期だった。
1995年からソロ活動を始めた安室奈美恵は小室プロデュースのもとヒットを飛ばし、「アムラー」と呼ばれる彼女のファッションを模倣した女子高生は、学校が終わったあとはミニスカ・厚底ブーツといった出で立ちで、茶髪に小麦色の肌を見せつけていた。

著者によれば、この頃の渋谷は彼女らがこの時期に集まっていた場所であるという。
80年代初期から始まったディスコブームでは、ディスコを借り切って大学生がパーティーチケットを売りさばき、この大学生文化が高校生にも浸透していく。
それはおもに都内私立高校の男子生徒が中心となって始められ、90年代に入ると今度はこれがクラブに拡がっていく。

このような高校生主体のパーティーを仕切っていた集団は「チーマー」と呼ばれる。
その名の通りチームを組んで都市に集まる彼らは、都内の私立大学付属校などの有名私立学校などに通う。バブル期ということもあり、彼らの親の可処分所得も低くなかった。
これらの属性は彼らに選民的な思想を抱かせ、これがチームの結束を保証することを可能にしたという。

そうした彼らが集まったのが渋谷だった。
彼らはセンター街にたむろし、ナンパを繰り広げた。
チームのメンバーの多くは男子生徒であったが、そのナンパの成果もあって一部には女性もおり、やがてチームに属していた女子高生も彼女らで集団性を帯び、コギャルと呼ばれるようになった。

コギャルという語がメディアで使われ出したのは1993年からだが、その少し前から彼女らは「ブルセラ女子高生」として注目が集まっていた。
そして、これが冒頭で触れた寒気ポイントの1つなのだが、当時のコギャル文化の盛り上がりと「男性の”少女”欲求の高まり」がリンクしているのだと著者は論じている。

 
ちょっと遠回りすると、この文脈を説明するために著者が持ち出さしたのが「前時代的な少女」という概念であった。

たかだか100年前の日本において、「少女」に課せられる規範は「良妻賢母」を目指してもらうための、結婚までの純潔な「処女性」であった。
当時にはそれを担保するための「姦通罪」という法的なサポートも存在していたことも、その主張を補強していると著者は示唆している。

当時の女学生たちを「賢母良妻たらしむるの素養を為す」ための教育は、長男を家長として資産相続することを法で定めた近代家父長制下において、安定的に国民を再生産するための社会装置として機能した。

とはいえ、タテマエとしてそうはありながらも、この13~18歳の女性らはその身体を性的に用いることが可能なのである。(その使用を「抑圧されている」事態は、前近代ではありえなかったことであると評論家の大塚英志は指摘する。)
前近代に存在したのは「性的に未成熟な幼女と成熟した女の2種類だけ」だったにもかかわらず、その中間に「モラトリアムな存在」として誕生させられたのが近代化の結果として生じた(前時代的な)「少女」である。

若干遠回りしたが、この近代化以降、100年ほど続いてきたこの(前時代的な)「少女」という抑圧的な”タテマエ”が機能しなくなった結果として登場するのが、「コギャル」の前兆なのではないかと著者は指摘していた。

 
そして、この幻想ともいえる「少女」感と、この「タテマエ」をわかりやすく大衆の面前で暴露したのがドラマ「高校教師」(1993)。この幻想の崩壊とともに現れたのが「コギャル」であった。

純粋な”少女”と、彼女たちに欲情する成人男性――この構図を噛み砕いて言えば、「いたいけな”少女”を手篭めにする卑猥なオジサン」というものだ。
『高校教師』で注目されたのは、「実は性的な存在である”少女”」だけでなく、彼女たちに性的なまなざしを向ける成人男性たちでもあったのだ。

著者は「コギャル」の存在を、そうした「”少女”概念内にいる自身の立ち位置にも自覚的な存在」=「メタ少女」と表現している。
彼女らは、社会的な「少女」認識が崩壊していく過程における「コギャル自身」と「周囲の大人が持つ”少女”観」とのギャップまでをも認知する存在だったというのだ。

女子高生の性体験率が上昇し、「ブルセラ写真」「援助交際」がマスメディアを踊らせる中、「少女」タテマエの崩壊に動揺する様々な大人からの注目を浴びることで「コギャル」ムーブメントは盛り上がっていったと著者は指摘する。

 
そして、自分もオトコとして寒気がするほど残念であった、コギャルも認知するこの「性的なまなざしを向ける成人男性」というものが、本書で「ギャルと不思議ちゃん」を分かつ上で絡んでくる要素である。

で、「不思議ちゃん」って何

さて、翻って「不思議ちゃん」である。
こうして見ても見なくても、こんな「コギャル」真っ只中の1996年にブレイクした篠原ともえは当時、現役女子高生であったにもかかわらず、きわめて異質な存在である。

そのブレイクたるや、当時のファッションリーダーである安室奈美恵を模した「アムラー」に対し、同時期の女性誌『CUTiE』の顔とも言える篠原ともえを模倣する「シノラー」と呼ばれるファンを産み出すほどであった。

その対抗意識は、篠原ともえのマネージャー・榊伸浩(当時)も意識しており、篠原ともえブレイクのきっかけはアムラーの反動ではないかとのインタビュアーの質問に、彼はこう返答している。

「安室さんのマネをする方っていうのは、すごいきれいな方なのに対して、でも、クラスには、おとなしくて髪の毛を伸ばせない、シャギーもできない、メッシュも入れられない、ルーズソックスもはけないっていうコもいる。
篠原はそういうおとなしいコたちのアイドルかもしれないですね(笑)。
僕は本人とよく話をしたのは”篠原はブサイクちゃんなんだよ”ということで(笑)。
たとえば写真撮るときも”なんでかわいい表情するの?絶対ダメだよ”って。

こうしてコギャルの最盛期だったこの時期に、積極的に女性性をアピールする『egg』『Popteen』などに対し、男性への性的アピールが極力抑えられた『CUTiE』が、発行50万部を突破する勢いを見せる。
このときの『CUTiE』的女子のアイデンティティは、多数派でないことから見出される、自らの相対的な(少数派としての/社会的な)「個性」にあったと著者は振り返る。(ただし、その「個性」は『CUTiEスタイル』として共通化されることで矛盾をはらむこととなる。)

 
さて、そうした『CUTiE』の顔であった篠原ともえはこれまで述べられてきたように、しばしば”不思議ちゃん”とみなされたのだが、こうして「ギャル」と「不思議ちゃん」を二項対立的に整理しようとするのであれば、「”不思議ちゃん”とは何か」に触れざるを得ない。

なのであるが、著者はこうしたときに使われる「不思議ちゃん」という形容には、「概して深い意味はない」と言い切ってしまう。

ただ、中森(明夫)が「普通のカワイイじゃ満足できない」と示しているように、不思議であると見なす前提には”普通”がある。
いつの時代においても不思議ちゃんは、”普通”である多数派(主流派)と対照的な存在に向けられる言葉だ。

では、篠原ともえが活躍した時代の多数派とは誰だったのか?
もちろん、それはコギャルだ。

ということで、本書が述べる「ギャルと不思議ちゃん論」は、「ギャル(主流)」像が揺らげば揺らぐほど、「不思議ちゃん」と括ってよいのか分からなくなる構造にある。

しかしながら、これに自覚的だからだろうと思うのだが、80~90年代というスパンにおいては以下のような図を提示している。

この図の詳細はさておき、「不思議ちゃん」の縦軸が「断絶」しているように、「不思議ちゃん」はいつの時代も明確な像を持つことはなく、「コギャル」が「ギャル」へと変化していくような明確な変遷をたどることはない。

それは多数派(主流)への対抗戦略以上になることはなく、常に反(非)・多数派として成立するに留まる。
ここで、著者は「戸川純、松本小雪、篠原ともえ、そして、きゃりーぱみゅぱみゅに至る明確な連続線はほとんど見当たらない。突然現れる”不思議な存在”は、それぞれの時代が多数派との差異として副次的に産み出してきたのだ。」と表現している。

 
20060820(004).jpgしかしながら、それでは「ガングロ」「ゴングロ」とは何だったのか。
あれらは私からすれば「ギャル」的であるにもかかわらず、同時に「不思議ちゃん」的である。

著者はこの現象を先ほどの「性的なまなざし」「メタ少女」というキーワードを用いて以下のように説明する。

性的使用が可能な身体を持ちながらもその使用を禁止されていた”少女”は、自覚的にそれを利用してコギャル=メタ少女となった。
が、今度は過度な性的なまなざしに耐えられなくなったからこそガングロとなった。

(中略)

ガングロは、コギャルがギャルと呼称を変えつつある頃に登場したが、それは”メタ少女”であったコギャルが、コミュニケーションを軸に分化していったプロセスだと言える。

(中略)

…ガングロは、セクシュアルなまなざしを利用するという戦略を取っていない。コギャルスタイルを意図的に過剰化することで、従来のギャルと差異化してセクシュアルなまなざしから外れた。

このように、著者はガングロを「コギャルの分化」と表現しているわけだが、「不思議ちゃん」とは表現しない。
あくまでも「不思議ちゃん」とはそのタイミングでの多数派(主流:この当時は「ギャル」)への対抗戦略であって、外見が不思議であることは「不思議ちゃん」と分類される上での十分条件にはならないのだ。

しかしながら、著者はコギャルについて、「その戦略に大きな影響が生じた背景は(不思議ちゃんと)同じだ」と述べるので、この辺から私が本書を読み進める上での「ギャル」「不思議ちゃん」認識に混乱が生じてくる。
とはいえ、どちらかと言えば確かにガングロは「ガングロギャル」とも呼ばれたほどに「ギャル」的ではあるので、大分類上そうなるのは問題ないとは思う。

同族(同系)の目線、同性の目線

前項では90年代の女性のファッションに、成人男性が向ける「性的なまなざし」が影響を及ぼしたとする著者の説明を紹介したが、次に彼女らを襲うのは「性的なまなざし」だけではなかった。

「不思議ちゃん」的であるオタク要素を取り入れたコスプレ文化は、「ひとに注目されたい」という欲求を満たしながらも、コミュニケーションをスクリーニング(ふるい分け)できた行為でもあったと著者は説明する。

スクリーニングできたというのはコスプレイヤーたちが、身にまとう衣装でコミュニケーションの範囲を自他共に明示できたということだ。
これは誰の目線を受け入れ、誰の目線を回避するかを自らのファッションで規定するという、ある意味で自閉的な「目線」戦略である。

コスプレはやがて一般層にも「コスプレ的な服装」として広がったものの、他の分野でこのように自閉的「コスプレ文化」的であったキャラクターは、それよりも「マンバ(”ヤマンバ”スタイルの後継)」にみられた。

 
「マンバ」は「ガングロ」もそうであったが、それよりもさらに異装性を強めることで、自らのファッションによってコミュニティ(コミュニケーションの範囲)を明示し、内向性を求める彼女らを外界の視線から身を守っていた。

そのようすは、彼女らの中に(従来のギャル文化には見られなかった)着ぐるみを着用する者(キグルミン)も見られたという事実からもうかがえる。

 
一方、本流の「ギャル」はというと、こちらでは「同性目線」が「モテ」と「コビ」というふるい分けを生んでいた。
ちなみに、この「モテ」は従来、「(人物)がモテる」というように使われてきた語であったが、20000年代には「モテ」という短縮語で「モテ服」「モテメイク」のように使われていた。

その当時、このギャル主流派「モテ」路線において中心的な役割を果たしたのが、女性誌『CanCam』。この時期に快進撃を見せた『CanCam』の勢いを支えたのが蛯原友里山田優押切もえの3人であった。
中でも元コギャル層の取り入れを狙った押切もえの登用は、コンサバ系ファッションにギャル要素を盛り込んだ”お姉ギャル”スタイルとして成功した。

バブル景気の女子大生ブーム、コンサバブームもやがてバブル崩壊・時代の流れと共に死語と化した。しかし女性のお嬢様スタイルへの羨望は現代に至るまで依然衰えることなく、モード系ファッション、ギャルファッション、カジュアルファッション等と識別する為に、女性らしく上質なファッションを今でもあえて「コンサバ」と形骸的に指すことがある。

一方、この流れで苦戦する女性誌も出て来た。従来のコンサバ(保守的)路線を捨てきらなかった『JJ』『Ray』だ。
『JJ』は当時「お嫁系」という単語を用いるなど、コンサバティブなスタイルの将来像として文字通り、読者が「結婚して専業主婦となる」ことを想定している。

とはいえ、男女雇用機会均等法が施行されて20年が経過し、不況も長引く中、女性が自身の人生に専業主婦モデルを採用することもとうに現実的ではなくなっており、こうした環境下でも(保守的な)”異性にモテるための「モテ」”を愚直に提示し続ける。

これは女性に「モテ」というよりも「男に”媚びる”こと=コビ」と捉えられていた。

 
当時『CanCam』が強力にプッシュしたコンセプト「めちゃモテ」路線において中心にいたのが蛯原友里であり、彼女を通じて同誌が提示していたのは、まず同性への評価を重視した上で、さらに男性に主張するものであった。
同じ「モテ」であっても、このように最初の「モテ」対象からして内実は異なっていたようで、これが明暗を分けたのだと著者は語る。

「ギャル」側ファッションの分化・深化と「地域」共同性の消失

「モテ」をコンセプトにした『CanCam』が快進撃を見せ、逆に「コビ」から脱却できなかった『JJ』が失速していった背景にあったものは、先程も述べた「専業主婦モデル」の非主流化である。

80年代前半、女性の社会進出が簡単ではない時代において必要とされていた、専業主婦というゴールを目指すための「コビ」戦略も、やがて現実から遊離した理想にしか感じられなくなった。

一方、当時の『CanCam』はモデル・蛯原友里を用いた、この時代の”勝ち犬”ともいえる「エビちゃんOL」像を提示して同性から支持されていったわけだが、こうしたコンサバ対立の反対側で「不思議ちゃん」はどうしていたのだろうか。

先程も登場した、オタク資質を擁したコスプレ文化も目立っていたが、2000年代からは「ゴシック&ロリータ=ゴスロリ」スタイルが目立ってきていた。
(その起源としては、しばしば「80年代の不思議ちゃん」代表の戸川純の名も挙がる。)

ヴィジュアル系」と呼ばれるバンドも活躍する中、思春期的な強い自己愛と、異性や他者・社会への不安が垣間見える彼女らのスタイルは、ギャルムーブメントが主流の若い女性たちのなかでは、極めて異質でラディカルで、「不思議ちゃん」的である。
こうしたスタイルは「下妻物語」などの作品で一般化されることもあった。

 
また、そんな中「ギャル」側はというと、”お姉ギャル”路線から差異化した”姫ギャル”も台頭してくる。
ここで注目されたのは雑誌「小悪魔ageha」。
進む地方の疲弊とともに「嬢王」「女帝 SUPER QUEEN」といったマンガやドラマもそこそこの人気を博し、「キャバクラ嬢」という仕事への人気も高まってくる。

その他、この同時期に発生したものとして「恋空」に代表される「ケータイ小説」人気が挙げられる。
その名の通り今でいう「ガラケー」用のサイト「魔法のiらんど」で生まれたこれらの小説は、その人気を地方の女子高生に支えられた。


当時、ネット掲示板などで文章の拙さを揶揄されながら、
それもヒットの要因となったケータイ小説「恋空」

「恋空」人気が女子高生に支えられた理由としては、当時に全国的な「朝の読書運動」推進されたこともあるが、「恋空」の描く舞台が抽象的で、どこか明確ではない郊外に設定されていた点にあると著者は言う。

2000年代以降は大店法改正により大型ショッピングセンターが地方都市に増え、またコンビニやドン・キホーテ型の出店も相次ぎ、インターネット通販の普及もあって、地方の消費文化が変質し、それは地域共同性を失っていった。

ちょうど今週号の日経ビジネスが特集しているが、安価で手軽に、それなりのものが買えるようになった「ファストファッション」の拡がりも見逃せない。
「ファストファッション」というとイメージはユニクロだが、当時郊外で目立ったのは「ファッションセンターしまむら」であった。
こうした「ファストファッション」を活用したスタイルは10代を中心に「安カワ」などと言われて親しまれた。

これら一連の郊外文化の形成をマーケッターの三浦展は「ファスト風土」と呼び、これが土着性のないケータイ小説と結びつき、郊外のギャル層のリアリティに直結した。

そして、混迷の時代へ:「きゃりーぱみゅぱみゅ」は「不思議ちゃん」なのか

松谷さんは、「(『ギャルと不思議ちゃん論』は)主に1980年代から2007年辺りまでの女の子のあり方を取り上げていて、最近5年間に関しては意識的に語らなかった」と語る。
この本にもあるように、確かに2007年以前であれば、ギャルの女性誌なら『egg』、不思議ちゃんの女性誌なら『CUTiE』というような分け方ができたかもしれない。しかし現在では、経済状況の変化による赤文字系の衰退に加えて、ギャルと不思議ちゃんの境が明確でなくなってきた。2007年以降の女の子の姿については、ファッションという視点から語るのが難しくなっている、と言うのである。

 

さて、残念ながら本書にはそうは書いてなかったのだが、この引用に書いてある通り、本書は最近5年間のファッション事情に関してはほとんど語っていない。
本書第5章のタイトルは「ギャルと不思議ちゃん、その後」であるのだが、その最後の項目は「ギャルとオタクの近接化」であった。

その意味するところを分かりやすく記述してくれているのが、「きゃりーぱみゅぱみゅは原宿系なのか?女性誌のトレンドからの一考察 - Elastic」。
単純にそこから見出しだけを引用させていただくと、

・2007年 エビちゃんブーム(モテ)の終焉と小悪魔agehaの台頭
・2008年 ageha全盛期を経て話題の中心が宝島社に(sweet人気)
・2009年 mixiから発生した森ガール
・2010年 渋谷と原宿のカワイイ合体!GO!渋原系!
・2011年 ガーリーとオタクの禁断合体!GO!オタクガーリー!

余程この分野に興味がないとなんのこっちゃ分からんという感じなので、ギャルとオタクが「近接化」したガールズファッション「混迷の時代」について記述した部分をさらに以下に引用する。

・2011年 ガーリーとオタクの禁断合体!GO!オタクガーリー!

 2010年は「実は私…オタク女子だったのです」という類のオタクアピールの特集が女性誌で流行ったのですが、 渋谷と原宿のカワイイ合体を成し得たギャルはオタクカルチャーとの融合も試みます。 かつてキモイと叩いていたオタク、そこにもカワイイを見出し禁断合体です。 Popteenは「最強の「萌え」と「盛り」で世界を制覇!」と制服にアニメ的な着こなしを取り入れ、 agehaにいたっては「私たちにはヲタの血が混ざっている」と誌面に次々とアニメキャラのコスプレを登場させます。 その影響を受け、翌年の2011年、nonnoの「オタク可愛い」やViViの「オタクガーリー」など オタクを取り入れるファッションが女性誌で一般化していったのです。

 それともうひとつ忘れてはいけないのが、2010年から続く女性誌のブロガーブーム。 海外ファッションブロガーのように、ブログやSNSを通して自己プロデュースする女性が素敵という流れが2010年に登場します。JJの「おしゃP」やScawaii!の「自己P」などがそれにあたります。 その中でも人気なのが青文字系雑誌のブロガー。アパレル、ヘアメイク、デザイン系の専門学校生や 卒業生といったクリエイティブ志向の女性が多く、そのブログも独創的なモノが多いです。 きゃりーぱみゅぱみゅの原点もここです。

またこの点、「JD1年生が『ギャルと不思議ちゃん論 女の子たちの三十年戦争』 出版記念トークショー ~松谷創一郎+宇野常寛 特別対談~ に行ってきた - ねとぽよでも

 何しろ、『CanCam』を読む女の子が『Zipper』を読むのはふつうのことなのだ。g.u.というファストファッションとタイアップをしていた前田敦子の後に選ばれたモデルは、原宿系と言われている、きゃりーぱみゅぱみゅだった。『KERA』の表紙を飾ったこともある、あのきゃりーが、ジャンルも年齢も問わず、「ふつうに」、しかも幅広く消費されている。きゃりーが、TOKYO GIRLS COLLECTIONに出てても、ギャルのブランドを着ていても、別に違和感もない。ギャルもきゃりーの出ている雑誌やブログをチェックするし、逆もまたしかりなのである。

 

と述べられていた。

 
それでは、ようやくこのエントリのタイトルにも掲げた本題に入ろう。
中盤でも触れたが、著者は「不思議ちゃん」の存在を「戸川純、松本小雪、篠原ともえ、そして、きゃりーぱみゅぱみゅに至る明確な連続線はほとんど見当たらない。突然現れる”不思議な存在”は、それぞれの時代が多数派との差異として副次的に産み出してきたのだ。」と表現していた。


ふざけた名前ながら、海外からも評価される「きゃりーぱみゅぱみゅ」の曲「PON PON PON」。個人的には「PON」と「うぇい」以外の歌詞は頭に残らない。

また、「きゃりーぱみゅぱみゅと”青文字系”」という項では「ギャルでも森ガールでもないなにか――その結果としてきゃりーが落ち着いたのは、”原宿系”や”青文字系”とくくられるスタイルだった」と述べており、著者は本書で明確にきゃりーぱみゅぱみゅの存在を「ギャル」でない「不思議ちゃん」に分類している。

一方、先ほど引用させていただいた「きゃりーぱみゅぱみゅは原宿系なのか?女性誌のトレンドからの一考察 - Elastic」では、「ギャルと不思議ちゃん」ではなく、「原宿系とギャル」という区分けを論じていますが、(「原宿系とギャルを分ける意味はないのかもしれない」としながらも、)「きゃりーぱみゅぱみゅのマインドはギャル」と指摘し、『CUTiE』も「原宿のストリートファッション系雑誌だったはずですが、 いつの間にかギャル系になっている」と述べています。

 
そうなると、当初は篠原ともえの正当後継者にも見えた「きゃりーぱみゅぱみゅ」を、著者の分類における「不思議ちゃん」に位置づけてよいものなのか。これは意外に難点なのではないでしょうか。
なぜならば、著者は「不思議ちゃん」を常に反(非)・多数派として成立する「多数派との差異として副次的に産み出されてきた」存在としており、外見や本人が持つ「不思議」感で分類されるものではなかったからです。

第3の目線:「海外」

とはいえ、私も「きゃりーぱみゅぱみゅ」だけでなく女性カルチャーについてまったくといっていいほど知りませんので、その分類を私が語るわけにもいきません。
最後に、知り合い数人に「きゃりーぱみゅぱみゅとは何か」と尋ねてみて得た答えを感想を述べて本稿を締めようと思います。

それを聞いて最も面白かったなと思った回答が、彼女は「現代に蘇ったフジヤマゲイシャ的な”cawaii”」だというものでした。
これはもう解説せずとも何となく伝わる気もしますが、つまり、そんな女性が日本(原宿)の街中を歩いていないにもかかわらず、海外の人々が”日本女性的”だと想像していそうなキャラクターであるということです。

きゃりーぱみゅぱみゅ」は海外でもヒットしていますが、彼女もそのプロデュース陣も、そしてそのファンも何となく、なぜそんな事態になっているのかは想像がついているようです。
その意味で、彼女は自分が周囲、さらには国外からどう見られているかにも自覚的であり、著者っぽく言えば「メタ”HARAJUKU KAWAii”」な存在であるともいえるのでしょう。(どうでもいいですが、私自身はオモテ原宿の”象徴天皇”という印象を受けました。)

 
さて、こうして慣れもしない分野の本を読んでここまで書いてきたわけですが、ファストファッションを展開する有力ブランド「g.u.(ジーユー)」のイメージキャラクターが前田敦子からきゃりーぱみゅへと変わった今年、「主流」や「本流」、「ギャル」といった概念がますます分かりにくくなっています。

したがって、ここまで述べられてきたように、2007年以降の世界までをも「ギャル」と「不思議ちゃん」という概念で分けることが可能なのかは私には分かりませんが、男性によって書かれた本書は冒頭でも述べた通り、私のように最近2-30年の”女子”文化史を客観的に眺めてみたいという男性にも面白く読めると思います。(もちろん、女性の方が背景知識がある分、楽しめそうですが。)

とはいえ、私がここで書いてきた文章もまさにそれに該当するのですが、本書は山形浩生さんの言う「で、それがどうしたの?」的書籍であるのも事実ではあります。
ですので、広告代理店系総研が出すリサーチレポートの超大長編ver.(ほんわかコラム付き)と思って読み始めると、期待外れ対策として良いかもしれません。
少なくとも、文化に疎い私には大変勉強になりました。

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ギャルと不思議ちゃん論: 女の子たちの三十年戦争
ギャルと不思議ちゃん論: 女の子たちの三十年戦争
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松谷 創一郎
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売り上げランキング: 10734

なお、この本のサブタイトルは「女の子たちの三十年戦争」であるが、本書を読んでも、ネット上の女性ファッション論をみても、なぜ彼女らが「戦争」を繰り広げるのかについては分からなかった。本書を読んでの最大の疑問はここにある。