Wall Surrounded Journal

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突如消えた日経ビジネス記事に思う―「権力のチェック機構のチェック機構」の必要性

昨日、知人から日経ビジネスのウェブ版に掲載されたとある記事を、「この記事、消されてるけど気になりますね」と教えていただいた。

その日は検索で1ページ目だけのキャッシュは見つけただけで「ああ、続きは読んでみたかったな」と思っていたのだが、今日になって全文のキャッシュがシェアされてきたので他の作業をほっぽり出して読んでしまった。

読んだ後の感想は、「確かにこれは消されるわ」であった。
ただ、この感想は納得ではなく諦めである。
(申し訳ありませんが、まだ推敲前で読みづらい箇所があるかもしれません。また、いつものように、この記事をシェアいただけるならばコチラからお願いできるとありがたいです。)

(cache)外国人ジャーナリストが驚いた日本メディアの惨状:日経ビジネスDigital

記事はニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏にジャーナリスト大野和基氏が聞き取り取材を行ったもの。興味深く読ませていただいた。


本稿で主題とするのは、記者クラブ云々はもうネット上(だけ?)では散々語られてきているのでそこは他の方に譲るとして、自分が気になったのはおそらく消された理由であろうこの部分。

――日本経済新聞に対しても批判的ですね。

ファクラーオリンパス事件のときによくわかりました。海外メディアでは、フィナンシャル・タイムズがスクープし、ニューヨーク・タイムズとウォールストリート・ジャーナルがそれに続きました。その間、日本経済新聞は何も報道しませんでした。沈黙です。

 その後、マイケル・ウッドフォード元CEOの記事が小さく出ました。ウッドフォード氏は日本の組織文化を理解することができなかったというような記事でした。まったくクレージーです。ビジネス・ジャーナリズムとして、3.11報道と同じくらいの大きな失敗でした。チャレンジする精神がまったくありませんでした。

当の日経ビジネスが削除の理由を語らないので単なる私の勘繰り違いならばよいが、おそらく削除の理由は全体のごく一部、このたった2、3段落なのではないだろうか。

確かに本文中に外部(朝日新聞)の名前はあるものの、それは朝日を叩くような言及の仕方でもないし、他からツッコミが入るような部分は見当たらない。

残された可能性は日本の「大メディア」がこぞって潰しにかかるという大げさなものだが、削除のスピードからみても、記事の掲載媒体からみてもさすがにそれは有り得ないと考えるのが普通の思考だと思う。

だとするならば、やっぱり削除理由はこのたった数行であろうし、「確かにこれは消されるわ」であり、それの意味するところは悲しみにも似た諦めである。


この部分がたとえ本紙でなくても、日経ビジネスに載ったのであれば、個人的にはひとまず拍手であった。

だって、ここに書いてあることに異論がある人はほとんどいないでしょう。
中の記者さんだってきっとそうですよ。

だからこそおそらく、日経ビジネス側の編集・デスクも当初はこれはスルーするという判断(ひょっとしたら葛藤があったのかもしれない)をしたのでしょう。
この記事は日経ビジネスオンラインの公式メルマガでも、さほどフィーチャーされずにタイトルだけが紹介されていたので、その辺からもそんな気がします。


ちなみにこの部分の課題をファクラーさんは以下のように語っている。

――日本のメディアはウォッチドッグ(監視役)としての機能を果たしていると思いますか。

ファクラー:彼らはそういう機能を果たすべきだという理想を持っていると思いますが、情報源とこれほど近い関係になると実行するのはかなり難しいです。

「取材対象と適切な距離を保つ」というのは確かに我々の想像以上に難しい。

原発事故以降の大手メディア批判に多いものが「情報源と関係が近すぎる」というものであるが、ファクラーさんの言うように「良い情報を得るために、自分を売らなければならないのであれば、そのような情報源の存在は忘れた方がいい」というのもキレイすぎないだろうか。


そうした批判を受ける報道体制については、朝日新聞出版「Journalism 2012年7月号」7月号についての過去コラム)や各検証番組、新聞本紙のコラムシリーズなどでも行われているように、自己検証しようという姿勢は見られる。

先日の森口尚史氏についての「iPS心筋移植」報道においても、読売共同も取材経過を見直し、検証する姿勢を有している。


しかしながら、今回の主題であるファクラーさんの「日本経済新聞社が当時のオリンパス(情報源)と関係が近すぎたのではないか」という指摘については、検証された覚えもないし、その自己検証を私が単に見逃していただけならまだしも、本件の記事削除という事実をみれば日経のスタンスに残念だと思うのは、さほどおかしなことではないのではないでしょうか。

これは先程「諦め」とも書いた理由で、常日頃私が思っているのは、こうした自己検証をしない、できない大手メディアを十分に検証できる体制がこの国にあるだろうかということです(他国にそれがあるかないかは問題ではありません)。

ファクラーさんはこの点、「今メディアがやっていることは明治時代から変わっていません。日本社会全体にチャレンジするような、代替メディアも生まれていません。能力はあるのに、とても残念なことです。」と述べていますが、私が「諦め」てしまうような環境下で、いきなり代替メディアがこの国に生まれてくれることはまだ期待していません。

前世紀の大手メディアは、大戦における「翼賛報道」への反省から、戦後一貫して「権力のチェック機構」たらんとつとめてきた(鈴木謙介関西学院大学社会学部准教授「新聞学」内)ようですが、マス・メディアが巨大化し、その反対で業界の自己検証が不十分にみえるようであるのならば、ここは「権力のチェック機構のチェック機構」を求めたくなってしまいます。

自分もいずれそういうものをこのネット上でやってみたいな、といろいろなことを考えていますが、それはさておき、今回の一件で、記事執筆者の大野和基さんのみならず日経ビジネスの各担当者には敬服しつつ、日本経済新聞社グループ全体に対しては、非常に残念だという気持ちを本エントリで述べさせていただきました。

なお余談ですが、そこまで本紙が関与するのであれば、日経新聞Techブログで『一部で報道された「12年夏のiPhone取り扱い開始」はありませんでしたが、劣勢を盛り返す対抗策を水面下で練り上げているはずです。』と他人ヅラするのは今後止めてもらえないかなあと思う次第です。

(本記事で引用させていただいた内容は当該サイト上からは削除されているので、引用にあたっては最低限に留めたつもりですが、問題があるようでしたらご指摘いただければ幸いです。)

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