Wall Surrounded Journal

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Tips:そのギャルを笑うな


冬になると切なくなる。

横浜、とりわけ、みなとみらいを思い出す。



身を切る空気に包まれて歩く日の出町〜横浜の道は、いつだって独特の空気を持っていた。

都会とはそういうものだ、と自分が小さいころに思った通りの空気がある意味あった。

電車に乗ってもいくらとかからないのに、歩けば40分はかかるその道を、その空気を味わいたいがためだけに歩いた。

切ないくせに、その切なさを桜木町の浜風に吹きつけさせる。
そんな自分を客観的に愉しむことで、何かを紛らわしていた。そんな時があった。



キンモクセイの「二人のアカボシ」という曲がある。
メロウかつオールディーズなナンバーなので、50〜60代の人とカラオケに行っても気持ちよく聴いてもらえるからというのがその理由の1つだ。

だけど、その曲が好きな理由は、その曲が「その空気」を体現していたからだ。
歌いながら、聴きながら、浸りながら。
あのとき歩いた道が、あのとき感じた気持ちが、すべて、しぶきとなってひたいの奥に吹き付けてくる。



●二人のアカボシ
キンモクセイ
http://jp.youtube.com/watch?v=sEWLrLJrXkk



「君とも離れることになる

 あの高速道路の橋を
 駆け抜けて君つれたまま
 二人ここから 遠くへと逃げ去ってしまおうか
 消えそうに欠けてゆく月と
 被さる雲はそのままに
 二人のアカボシ 遠くへと連れ去ってしまおうか」




逃げ去りたかった自分。
それは確かに雲に覆われ欠けゆく月であった。

だが、連れ去りたかったし、実際に手を取って駆け抜けた。
僕にとって冬に思い出す横浜とは、そんな街なのです。





そんな街の空気も、視点が変わればまた違う気持ちに出会うことになる。
失礼な話だが、1つ僕が馬鹿にしていた雑誌があった。

小悪魔ageha」。
ギャル向け、とりわけキャバ嬢向けといってもいいその雑誌は中身が本当にギャル。ギャルをとにかく正当化しているようにも感じられる。
この雑誌の存在には、女性が男性誌を理解できないのと同様に、やはり自分がオトコである以上、理解に苦しんでしまう。
だがそんな気持ちも、はてなダイアリーのこの方のエントリーを見て複雑になった。



小悪魔agehaという雑誌に度肝を抜かれた
せんまい 〜あるいは寸止めクネクネ
http://d.hatena.ne.jp/skyk/20081004/1223100381




「泣いてないよ、煙が目にしみただけ」



こんなにも切ない「煙が目にしみる(Smoke Gets in MY Eyes)」はこの方も仰るように聞くことはない。


中でも11月号の特集は「私たちが今、生きている街'08」。
トカイの夜の女性はかく綴る。




◆まず一歩踏み出せってみんな言うけど

何に向かって歩き出せばいいの?



◆どこの街へ行っても

結局はひとり…



◆親に勘当されて漫喫で寝泊りして…

野良犬だったあたしの新宿デビュー

(中略)

簡単に色かけたり簡単に騙したり簡単に裏切ったり、

こんな汚い街大っ嫌い。





自分が育った環境は、こういった方より恵まれているのかもしれない。
いや、きっとそうだろう。

「ひとりで生きている」

その意味のない精神的支柱の下に生きている夜の女性も少なくないだろう。
自分を支えるのは自分だけ…。
男性が製造業の派遣労働者や肉体労働者なら、その対角にいるのは彼女らかも知れない。

そう思ったとき、彼女らを支える雑誌がもしもこれならば、私はこれを笑うことが出来ないと心から感じた。


金銭的な貧困よりも、「こころの貧困」の方が、社会を悪くする…。
そんなことを皆が実感せずに生きていける社会の作り方を、僕は知らない。政治家もよく分からないだろう。そこがまた何とも言えない気分にさせる。

雑誌の一部を切り取って社会を語るのも馬鹿そのものかもしれないが、それを笑うだけであれば何も生まれない。
ここまで読んで下さった方の中では何か感情は生まれただろうか。

僕は、彼女らを笑えない。