Wall Surrounded Journal

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東京の音楽業界についての会話から

木曜日のことだが、とあるプライベートな飲み会で音楽業界はどうなっていくのかという会話に参加させていただいたのだが、非常に面白かった。

それはとても厳しい業界であることは事実なのだが、現場の意見としては音のクオリティは明らかに進歩しているんだそうだ。
もちろん、だからといって一昔前の人々より(比較なんて出来ないほど)マスとして彼らが稼げていないことは明白でもある。

練習するために働いて、弁当代で演奏する。そんな演奏者が増えてきているんだそうだ。
見返りはフィーではないが、それでも現状回っている世界ではある。

では、肝心の音楽会社はそんな新しいアーティストを発掘して儲けているのかというと、そうでもないらしい。
彼らは高橋ジョージが語るような過去の遺産を食いながら生きているようなのだ。
格差でいうなればひょっとしたらすごい世界かもしれない。

民主党の代表選に敗れた小沢さんが(主体が政府ということを勘案すれば、国債発行の方が結果的にコストは安くなりそうな)国有資産の証券化を模索していたようだが、このあたり似た部分はあるよねという話にもなった。

そして、これまた似ているのだが、卒業生の供給過多を産みやすい音楽関係の専門学校に通う子も同様に親の資産を食いながら入学していくようでもある。
供給過多というのは、たとえば1つの学校から毎年数十人のクラフト(楽器製作)科卒が出るというようなことだ。


さて、まぁ最後のたとえの部分は脇に置いておいて、音楽業界から私が(もしくは、私が一緒に考えてもらえると有り難いなと思っている方々が)学べることとは何だろうか。

価値観も、社会や業界との関わり方も多様化していく。
そして、参入障壁が絶対的または相対的に低くなるにつれ、参加者の技術水準が著しく進歩しているのに(もしくは、生産性が遥かに上がるケースも少なくないのだろうが)、個々人に還元される収入は伸びるどころか減っていくという業界が存在する。


さぁじゃあこれは不幸なことなんだろうか。
これをどう考えていこうか。
そういう時代はもうとっくに来ているのだろう。
うん、これをどう考えていこうか。

また何かに気がついたら続けます。