米国短期金利市場における期待形成
銀行間(インターバンク)での資金のやりとりに適用される金利に、たとえばLIBOR(London InterBank Offered Rate; らいぼ)がある。
今年前半でも、ユーロ圏のソブリンリスクの高まりが投資家の関心を集めるにつれ、特にユーロ建てLIBORなど短期金利指標の上昇が観測されたのは記憶に新しい。
今でこそまた落ち着いてきているが、そこには各国政策金利の上下見通しや金融機関そのものの信用リスク状況などに対する、市場参加者の期待の形成を垣間見ることが出来る。
指標の上下を単に見るだけでもそれなりに判断材料になるのだが、そこから市場参加者の期待のばらつきやその偏り具合などまでは分からない。
今回紹介する日銀レヴューでは、ドルLIBORを対象とした金利キャップのオプション価格を用いてその分布(インプライド確率分布)の特定を試みている。
そのインプライド分布を用いた分析結果を以下に引用する。
今後、政策当局はその期待形成について改めて厳しい舵取りを迫られそうであるため、いま金融危機後のそれを確認しておくことは有意義であるかもしれない。
日銀レヴュー
金融危機以降の米国短期金融市場における期待形成
―金利キャップを用いたインプライド確率分布に基づく分析―
http://www.boj.or.jp/type/ronbun/rev/data/rev10j16.pdf
1.インプライド標準偏差
上の図はその分布から得られた標準偏差(ばらつき具合)の推移である。
特に、各時点での2年後の6ヶ月ドルLIBORについての市場参加者の期待のインプライド分布を示している。
レヴューでは(1)〜(4)の期間に分けてその推移を分析している。
(1)については、2007 年 8 月のパリバ・ショックを発端とする金融システム不安を背景とした、金融機関の信用リスクに対する不確実性の高まりが、一時的なものとは捉えられなかったことを示唆している。
特に、2008 年 9 月の米証券会社リーマン・ブラザーズの破綻に伴い、インターバンク市場の不確実性は極度に高まり、インプライド標準偏差はピークに達した。
証券価格下落や、時として「値がつかない」状況を通じて金融機関の資金の流動性が滞るにつれ、その期待のばらつきが大きくなったことが分かる。(その期待が上昇予想か下落予想か、いずれの方向に特に振れたかについては後程また触れる。ここでは単に「ばらつきの度合い」しか分からない。)
特に2008-09年、金融機関の年越しに係る資金の確保が懸念されていたことがその推移からも分かるように思う。
(2)は、当局の様々な政策対応(例えば、2008 年 12 月半ばに実施された、Fed による、1.0%から 0-0.25%への政策金利の引下げ)等を背景に、金融システム不安が和らいだことを映じた結果と考えられる。
TARPや利下げなど、アメリカ政府と連銀の様々な大規模かつ迅速な対応により、差し当たりの”金融危機”が沈静化の様相を見せるにつれ、その2年後のドルLIBORの期待の振れ幅は次第に収まっていった。
(3)の時期には、各種資金市場が落ち着きを取り戻しつつあったことや、事前予想対比、好調な経済指標が公表されたことなどを背景に、Fed による低金利政策の出口が早まるとの思惑が市場の一部に拡がった。
この結果、市場参加者間の先行きの見通しにばらつきが生じた可能性がある。
このレヴューで特に面白いのはこの時期である。
そうした「想定より良い」経済指標などが次第に現れてくるにつれ、強気の市場参加者と弱気の市場参加者との見通しのばらつきが拡大していったという示唆がされる部分である。
(4)については、2009 年秋に、G20 で「回復が確実なものとなるまで政策支援を維持する」との声明が発表されたほか、FOMC でも低金利政策の継続を確認する声明が出されたことによって、(3)の時期にみられた早期の利上げ観測が後退した。
この結果、インプライド標準偏差の上昇に歯止めがかかったと考えられる。
その後はFedでもおなじみの”for an extended period”文言に現れるような一貫した時間軸政策が行われ、金融機関が抱えるリスクへの評価で一定のブレは起きるものの、市場参加者の間には長期の低金利予測が立っていたこと(かつ、現在も継続)が観測できそうだ。
元レヴューでは市場参加者が低金利予測に収斂していく様子を別のグラフでも表現している。
2.インプライド歪度
さて、分布といっても正規分布のように左右対称であるかどうかは分からない。
市場参加者の期待の方向が下の図のように左なのか右なのかを分析しておくことは重要だ。
それをインプライド確率分布の歪度で判断することとするが、ここでは、分析結果の要約を見るにあたって単純に、歪度がプラスであるときは「市場参加者の2年後のLIBORの期待が現在のフォワードLIBORから上振れするリスクを下触れするリスクよりも評価している」と判断しよう。
その逆もそう判断する。
金融危機が始まった 2007 年夏から 2008 年 12月にかけて、インプライド歪度は大幅に上昇し、負から正の値に転じた。
この時期は、金融機関の信用リスクに対する懸念が高まる中で、LIBOR の構成要素である金融機関の信用プレミアムが、期待水準から上振れするリスクが強く意識されていた可能性が考えられる。
このあたりは前項の説明に符合する。
2008 年央には、インプライド歪度は低下に転じるなど、インプライド標準偏差とは異なる動きを示した。
これは、LIBOR の構成要素である政策金利が見通しから下振れするリスクが、2008 年 3 月の米証券会社ベアー・スターンズの経営危機や同年9 月のリーマン・ブラザーズ破綻等を経て、意識されるようになったことを反映したものと考えられる。
この下振れリスクが、もう一つの構成要素である金融機関の信用プレミアムの上振れリスクを打ち消す格好となった可能性がある。
これは
LIBOR = ([1]政策金利) + ([2]金融機関間信用プレミアム) + ε
と分解したとき、投資家の間の「[1]が下がるのではという予想が[2]が上がるのではという予想を上回ったのではないか」というようにレヴューは語っている。
その後、2008 年 11 月に入ってから、インプライド歪度は再び上昇した。
これには、2008 年 10 月末にFed が政策金利を 1.5%から 1.0%に引下げ、十分な低金利環境が実現したことで、将来の政策金利が期待水準から下振れする余地が限定的となったことが影響していると考えられる。
将来の政策金利が見通しから下振れる余地が限定的となる中で、なお、将来の金融機関の信用プレミアムが上振れする懸念が残存していたことが、インプライド歪度の上昇を引き起こしたと考えられる。
利下げ直後は”更なる低金利期待”は小さくなる。
2009年に入ると、インプライド歪度の上昇はほぼ止まり、2009 年初から 2010 年春にかけて、振れを伴いつつも、おおよそ横ばい圏内での推移となった。
政策金利の引下げをはじめとする政策対応等により、金融機関の信用プレミアムが上振れするリスクへの警戒感が和らいだ可能性が考えられる。
このあたりの動きは標準偏差の推移に重なるようにも。
しかし、2010 年春以降、インプライド歪度は再び上昇した。
前述の通り、インプライド標準偏差は低下したが、欧州財政問題に伴うソブリン・エクスポージャーの市場価値の低下や景気後退懸念などが金融機関の経営体力を将来的に圧迫し、2年後の LIBOR が上昇するリスクを意識する動きがあった様子が窺われる。
この間の上昇の大部分は金融機関間の信用に対する懸念を表現しているとみても良さそうである。
元のレヴューはさらに続くが、とりあえず今日はここまで。
ライトにではあるが、レヴューから引用してみましたが、これだけでも十分示唆に富む内容であったように思います。
お時間あられる方は、9ページ程度ですので、読んでみると良いかもしれません。
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