読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Wall Surrounded Journal

http://twitter.com/call_me_nots

福島原発事故報道の反省を踏まえ、テレビ業界は映像コンテンツなどの「公共利用判定委員会」を作れ

angle of 15 degrees

すでに8月号が出ているが、朝日新聞社発行「Journalism 2012年7月号」(266号)が面白かった。

Webでも無料公開され、反響を呼んだ『「橋下現象」をどう報ずるか』の他にも、福島原発事故をどう報じればよかったのか、データジャーナリズム、上杉隆など、昨年から今年にかけてのジャーナリスト界隈の動きを俯瞰するにあたってちょうどよいテーマが詰まった1冊といえそうだ。

この中から取り上げたい話題は複数あれど、今回はこちらも無料公開されていた「朝日新聞デジタル:【放送】福島第一原発の爆発映像 “公共財”として社会で共有を」をテーマに書いてみる。
時間がある方は直前のリンクを先に読んでいただいた方がよいかもしれない。
(当記事は別サイト向けに書いたものですので、このエントリをシェアいただける方はコチラにお願いできますと幸いです。)

そして、時間がない方のために簡単に論旨を引用すると以下の通り。

論点1


3月12日午後3時36分、福島第一原発の1号機で起きた水素爆発による映像を日本テレビ系列の福島中央テレビの無人カメラが撮影した。
この映像を見た福島中央テレビ報道部の幹部やスタッフは、ただならぬことが起きたと判断。4分後にローカル放送で映像を流した。
この映像は、在京キー局の日本テレビへもそのまま配信されていた。福島中央テレビのデスクは日本テレビ側に電話して、「大変なことが起きた。すぐに全国放送してほしい」と要請した。
しかし、日本テレビがこの映像を全国放送したのは、発生から1時間14分も経過した午後4時50分だった。
緊急時に住民の命に直結する貴重な映像の放映が、これほど遅れた事実。テレビ業界でもあまり知られず、議論の対象にもなっていない。

論点2


また、この映像の著作権者は福島中央テレビ。
そのため現在まで、爆発映像の使用は日本テレビ系列だけに限定されている。原発爆発直後には、海外の放送局から映像購入の依頼が殺到した。

他のメディアは購入するという形で映像使用できる可能性はあるが、値段や売るかどうかの判断は福島中央テレビ−日本テレビ側が握っている。
例外として日テレ系列以外で爆発映像が放映されたのが、昨年6月のNHKスペシャル。この時、NHKは映像使用料を払った上で、画面に福島中央テレビ撮影のクレジットを入れて使用している。

原発事故からすでに1年以上が経過している。そろそろ人類の歴史上、初めて「原発が爆発する瞬間」をとらえた爆発映像の公共性を真剣に考えても良いのではないか。
具体的には、「爆発映像」を一つの系列の利用や所有にとどめずに、他のメディアにも開放するべきだ。

今回は論点2だけを眺めることとしよう。
さてその「論点2」だが、この方(水島宏明さん)は「公共性」と言い出したからことは大変である。
あなたが所有している、利用権を売って収入を得ることができるものを、突然それは「公共性」を持っているため、その所有権を放棄すべきだと(福島中央テレビ/日テレ側に)いうのである。

とはいえ、確かにこうした主張を端から否定するものではないところに、この論点の面白さがある。
以下、見ていこう。

「公共性」とは何か


この主張の正当性を判断するために、そもそも「公共性」とはなにかを確認してみよう。
立命館大学の村上弘教授による論文「公共性について[PDF]」では、日本と英米での「公共性」という言葉の用いられ方を以下の3つに整理している。

A 社会一般の利益になる。多くの市民の利益になる。
B 社会一般に関連する。共同で利用できる。多くの市民に開かれている。
C 国家,政府に関連する。

「公共性」とは「多くの市民の利益になる」、「多くの市民に開かれている」、あるいは「国家。政府に関連する」性質というわけだ。

また、「公共財」は概ね以下の2つを満たす財・サービスのことをいう。

○非競合性
同じ財・サービスを同時に複数の消費者が消費できること

○排除不可能性
ある消費者の利用によって、他の消費者の利用を排除することが事実上不可能であること

イメージとしては、公園の水道などが分かりやすい。
あなたがそれを利用しても、それはなくならないし、他者によるそれの利用をあなたが妨げる権利はない。

こうした定義を踏まえると、「人類史上、初めて原発が爆発する瞬間をとらえた爆発映像」を「公共財」とすべきだ、ということはおそらく次のような主張になるだろう。


  • 「人類史上、初めて原発が爆発する瞬間をとらえた爆発映像」を1つの集団が著作権放棄すれば、国内だけでなく海外を含めた多くの専門家による映像の解析が可能になり、多くの市民の利益になる(公共性)。
    したがって、当該映像は誰でも視聴およびダウンロードできる方法にて公開し、それに支障をきたす一切の権利を放棄すべきである。(公共財)

この論調に一定の賛同者がいようことも想像がつく。
しかしながら、公共性があるから即ち公共財とすべきだという主張となってしまえば、これは乱暴な議論になるはずだ。

そもそも、あの水蒸気爆発の映像を誰でもが使用できるようになったとしても、それから何らかの新たな事実が判明するということはおそらくないだろうし、結局は日テレ/福島中央テレビが持つ1つの収益源を、プロ・アマ問わずに動画編集者が、例えばクリエイティブ・コモンズのような形式でそれを利用できることによる「公の効用」へと移転するだけになるはずだ。(もちろん、その移転によって日テレ系列が失った以上に、社会全体としての効用が高まる可能性は十分にある。)

金銭以外の「業界の利益」


とはいえ、CSR(企業の社会的責任)活動がそうであるように、爆発映像の一般開放がテレビ業界に大きな無形の利益を与えることがある。
それによって既存メディア全体、業界の見えない価値を高めることが出来る。

自社が持つサービスについて「公共性がある」と主張する組織は報道機関以外にもある。
現在叩かれまくっている電力会社だってそうだし、金融機関や通信事業会社に入社した人の多くは研修などで、自社が提供するサービスの持つ「公共性」について教えられることだろう。

こういった場合、自社のサービスについて公共性の存在を主張するということは、つまり「自社の存在は一般市民にとって重要なんですよ」というアピールに他ならない。
そして、そのように自らの会社の存在意義を「公共性」という概念をクッションにして主張する会社は、彼らの利益の源泉が何らかの規制によって守られている場合が多い。

自社が提供するサービスに公共性が存在することを主張するのがそもそもデメリットであるのならば、そういった主張はふつう自社から発信しないだろうし、あるいは、そういったサービスに公共性が存在することが、そのサービスを提供する「うまみ」を減らすはずである。
街のパン屋さんが日々、「町内に十分な量のパンを供給すべきだ」という理由で休暇をとることが許されないのだとしたら、独占開業権でもないとやってられないだろう。

そうして、自社のサービスに公共性が存在することのアピールというのは、基本的に自社の存在意義を民衆または、お上へアピールするということである。

「公共利用判定委員会」を作ったら?


これまでの議論を受けて、では今回のケースはどういうことであろうか。
論点2の主張は、
1)日本テレビを辞められた法政大学の社会学部教授が、
2)朝日新聞社発刊の雑誌上で、
3)「福島中央テレビと日本テレビには、ぜひ公共性を考えた英断を望みたい」として、水蒸気爆発映像の一般開放を訴える
というものである。

したがって、1)と2)を考慮するに、爆発映像の一般開放を主張するということは、日本テレビ/福島中央テレビの利益というよりも、テレビ業界(あるいは既存メディア)全体の利益につながる主張を行なっているのではないだろうか。
(もちろん今回の主張は「すべて一般民衆の利益のために開放する」という純真無垢な発想から生まれうるものでもあるが、だとすれば先ほど述べたように、「公共性があるから権利を放棄せよ」と外部から私企業に訴えかけるのはかなり乱暴な議論である。)

何も映像ジャーナリズムを行う組織は既存マスコミだけではないわけで、今後はこれまで以上に現在の既存マスコミ以外に報道サービスを提供する主体も出てくるだろう。
こうした新しいが、とはいえ今なお力では既存メディアに遥か及ばない組織が少しずつ現れてくる中、「既存の民放各社は、民衆に必要な情報を提供するためにやっぱり必要な会社なんです」というアピールをするために、日テレ/福島中央テレビが映像の権利を放棄して一般に開放するということは、確かに意義がある。

問題は、その公開するか否かという線引きを、当の日テレが出来るのかということだ。
自社の利益の源泉を放棄するという決断を、業界全体の利益になるからといって、スクープ合戦を繰り広げるマスコミ各社が自ら下すことを期待するのはかなり無理がある。

となれば、業界がやるべきことはいくつかあろうだろうが、タイトルにも掲げた通り、ここでは業界が「公共利用判定委員会(仮)」を創設することを提案してみよう。

判定委員会にはマスコミの内部で働くお偉いさん方や外部の有識者のような方々を集めて、日々マスコミによって行われる報道などから、一般開放することに意義が認められそうな映像・写真などの資料をピックアップし、それを一般開放すべきかどうかを、一定の基準のもとに判定させる。
そうして、委員会によって「開放すべき」と認められた資料は無条件で、委員会HP上などでクリエイティブ・コモンズのようなルールのもとに一般に向けて提供されることになる。その資料を保有する主体は、当該資料に関する著作権などの権利を一切放棄する。
YouTubeニコニコ動画などではなく、委員会HP上などで公開すれば広告収益を外部に流さずに済むだろうし、委員会の運用方法次第では、判定委員会の値決めで強制買取りするということも可能かもしれない。

委員会はBPO(放送倫理・番組向上委員会)のように一般からそのリクエストをうけつけてもよいし(そうすればより公共性は高まる)、新たに委員会を立てずに、すでにあるBPOにその審査機能を付与してもよいかもしれない。
また、この委員会の審査スピードが速やかであるほど、水島さんが記事で問うた先程の「論点1」のような事態の再発防止にも繋がるだろう。

このように、私は「福島中央テレビと日本テレビには、ぜひ公共性を考えた英断を望みたい」と迫るよりは、業界全体の利益と公共の利益の双方を求めるために、マスコミ各社は己の外部に、「公共利用判定委員会」を設けてはどうか、と提案したい。*1

もしも現状、世界的にみられるような既存メディアが信頼を緩やかに失墜していく過程に日本があるとするのならば、この提案を検討してみる価値はあるのではとは思う。
もっとも、私自身は既存メディアと何の関係もなく、むしろ社会には今よりも多様な報道がある方が有益だと思うような人なので、今回は水島さんの記事を読んで少しだけ彼の主張の妥当性を考えてみただけ。
したがって、「水島さん、あんたの今回の主張はさすがに無理があるだろ」と言いたい以外、個人的に特段マスコミ各社に求めたいことは何もない。

BOOK


Journalism 2012年7月号
Journalism 2012年7月号
posted with amazlet at 12.08.20

朝日新聞出版
売り上げランキング: 45734

*1:基金でやればとの意見もあったが、そのへんは業界がどれだけこのマターを重要とみなすかに拠る。