テレビのテレビ性の再生産性
私の話はクソ面白くないクセにこんなことを申し上げるのはいささか憚られるのだが、「話が面白い」とされる人には2種類いると思う。
まずは「話が面白い人」。
どうだ、お前バカか?と思ったろう。その通りだ。
もう1種類は「話が面白いんだ、という空気を作り上げる人」。
その人の話は面白いのかどうかは分からん。または、面白くない。あるいは、聞いていて不愉快。
しかし、そこにいる人々はそれをとりあえず面白いと評価しないとまずい。
「テレビ番組もリツイートされ炎上すると覚えておくべし」 − 日経ビジネスオンライン
以前にこんなエントリもありましたが、別にお笑い番組に限らず私は日本の番組はまさにスタジオの空気を作る番組となっていると思う。
・大物タレントの自己満足トークを諸手を挙げてスタジオが盛り上げる。
・美男美女が世界遺産や戦争の悲惨さを台本通りのように語る。
・キャスターとコメンテータの意見がまるで違わない。
いやね、そりゃテレビは空気を作って提供するもんですよ。
だけどね、その空気が自己満足で形成されちゃってたらもう見る気なんてなくなるのが当然でしょうよ。
じゃあ、ってことで上の3つを非テレビの世界に置き換えてあげましょうか?
・上司との飲み会
・SBの株主向け孫さんによる「ソフトバンク新30年ビジョン」プレゼン
・あらかじめ結論が決まってる会議
あっは!
面白くねぇ!全然面白くも何ともねぇ!
2番目は放置しておくと非難されそうなので弁解しておきますけど、あの会社の30年ホルダーを目指している方なんて全株主の何%いるんでしょうかね。あ、そっか。途中で帰ってもいいのか。
ちょっと話がそれましたが、小中学校とテレビが何も変わらないところを見てると、私にとってあんまり気持ちのいいもんではありません。
でも、テレビ見逃すと話題についていけなくなることってありますよね。まずいですよねー。どうしましょうか。
いやね、だからそれが(後略)*1