Wall Surrounded Journal

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ピークを過ぎた大企業でスケープゴートにされる「学習能力の高い若手」

だいぶ前からよく、「バラエティ番組がつまらなくなった」と語られるようになった。
しかも、高齢者が「どの番組も似たり寄ったり」と言うだけのことではなく、若い世代が本当にそう思っている。

今回はそんな「バラエティ番組の視聴率1ケタ時代」に陥った理由を元フジテレビプロデューサーの立場から語る本を取り上げる。
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BOOK


 
本書で語られるのは「THE MANZAI」「オレたちひょうきん族」「笑っていいとも!」などの番組制作にたずさわった佐藤義和氏による「なぜお笑い番組はつまらなくなったのか」論。

ちなみに「THE MANZAI」は現在放送されているものではなく、1980年に始まった当時の特番シリーズ。
それまでの演芸番組とは一線を画し、当時ブームだったディスコ風のステージ上で、若い漫才師が機関銃のようにスピーディなネタを展開し、冗長な間はバッサリとカットするという若い世代を意識した番組編成で、第5回放送では40%近い視聴率を記録した革命的なお笑い番組だ。


「カリスマプロデューサー」という冠が正しいことは佐藤氏の経歴が証明しているのだろうが、終盤にかけて本書はやはり親父の小言感が強い。
しかし、だからこそ、そういった立場の人の思考が透けて面白い。

若手ディレクターたちの学習能力の高さがバラエティ低迷の要因?


本書の第3章は「バラエティ番組をダメにしたテレビマンたち」というなかなかインパクトのある見出しがついている。

この章の主張をごくごく簡単にまとめると、「仕事をソツなくこなすお笑い芸人が大量に供給され、番組制作費は縮減され、スポンサーは「教養バラエティ番組」を好み、テレビ番組の挑戦(失敗)余力が削がれ、社会良識の変化が多くの表現規制を生むというテレビ業界の環境に、他人の番組作品のトレースが効率良く出来る学習能力の高い若手ディレクターが配置された結果、バラエティ番組がつまらなくなった」というものである。

この主張そのものはさほど違和感はない。
確かに番組制作費が減り、失敗が許されにくくなって、表現規制が増えてくると、成功事例を研究し、トレース(模倣)行動をとることが効率的だ。
これが「どの番組も似たようなものばっかり」と言われてしまう状況を作り出す一因となっていると言われれば、その説明には説得力がある。

しかし、まさに親父の小言感にあふれて面白い、その中の「ロマンにあふれたテレビマンを育てられないテレビ局」という項から一部を引用してみる。

テレビ業界の窮状が語られても、テレビ局、特にキー局は、相変わらず超人気企業だから、いわゆる高学歴の若者がほとんどだ。
彼らは、飲み込みも早いし、記憶力もある。しかし高い学習能力が往々にしてネックになる。
ある意味で、現在のバラエティ番組の低迷の最大のネックは、ディレクターたちの学習能力の高さかもしれないとよく思う。

学力とは、すなわちトレースする能力である。
番組をつくる場合でも、統計的に把握できる成功の要件を峻別し、その組み合わせで、番組の企画をつくるといったことを彼らはやろうとする。

現在活躍するテレビ局のディレクターをそれほど知っているわけではないから、確認はできていないが、現在のバラエティ番組のつくりをみると、その多くは、そうした学習能力の高い若者たちがつくっているのだろうということは容易に推測できる。

足で稼いだ体験や出会いをもとに、ああでもない、こうでもないと思いを巡らせて、なんとか他人とは異なる魅力、おもしろさというものをつくり出そうとするような作業を「徒労」と考えているのかもしれない。

(中略)

私が管理職として接してきた1990年代後半の若手ディレクターたちのなかにも、そうしたタイプはいた。
徒労を経験しないことが、今の時代に高学歴を得るための条件ということなのだろう。
なかには”おもしろい番組をつくりたい”といった思いすらももっていない若手も存在する。
超人気起業で給料もよく、楽しそうだから入社試験を受かってしまったというタイプであろう。
こうなるとはっきりいって手の施しようはない。
模倣と確率の計算で上手に番組を作っていってもらうしかないのであろう。「ロマンをもて」などといった観念論は通用しないのだから。


この部分を読んで、去年の今ごろもまさにこういう文章を読んでいたことを思い出した。
それは山陰合同銀行の元融資部長・周藤巌氏の書いた、「失われた20年」の一因はパソコンを職員1人1人に配布したことにあるのではないのかと主張した、なんとも言えない味があるコラムだ。
官民を問わず、職場の風景、特に事務系職場において、この二十数年間で最も大きい革命的変化は、パソコンが職員一人一人に配布されたという事実だと思う。各社の社長はすべて、IT時代の到来の流れとはいえ事務系管理部門の生産性向上をもくろみ、業績向上を願って決断されたに違いない。果たして、もくろみ通り業績向上に寄与したのであろうか。

ひょっとすると、「失われた20年」の何かの素因が、ここらに潜んでいはしないか、と素朴に思うのである。

(中略)

職場での肉声による会話が少なくなっているのではないか。隣同士のメールなど言語道断であり、職場の雰囲気が柔和すぎはしないか。厳しいことを直接肉声で指摘してくれる上司がいなくなったのか。
上司がメールに入れておいたから読んでおいてくれ、ではどうか。中小組織では大いに疑問だ。

「パソコン全時代」の到来と「失われた20年」とが起点をほぼ同時期とするが、偶然だろうか。

筆者には「パソコン全時代」が複合的な負の素因の中の一つを担っているような気配が感じられて仕方がないのである。
山陰中央新報「失われた20年/パソコン全時代も素因」より引用/現在は削除)


これら2つの文章は、「高学歴ディレクターが持つ高い学習能力」と「パソコン」を軸に、主張がかなり似ているように私には思える。
そして、これらの主張が展開される業界も、テレビ業界と金融業界と異なるとはいえ、収益が減り、規制が増え、業務遂行能力という点では優秀な新人が多く供給されるという点で共通要素も多い。

このように、現状ステータスは高いものの、将来の成長イメージが描きにくい組織では、「業務効率・労働生産性の向上が、仕事のロマンや原点を失わせている」と本気で考える(とくに現場を離れた)管理職が多いイメージが私にはある。

また、彼らは往々にして「自分が上司から受けた育成」を、当時とはかなり環境が変わった現場をあまり考慮せず、そのまま適用すべきだと考える傾向が強いように思う。
(このあたり、私の勝手なイメージを羅列しているようだが、それは彼らの文章とて同様だ。)

しかし、私は彼らの言うとおりに若手が育ったところで、若手本人も組織も本当にうれしいと思うのかが疑問である。

そもそも、そんな業界でロマンにあふれた若手が育って組織はうれしいのか?


テレビ業界では先ほどもまとめたように、番組制作費が減り、失敗が許されにくくなって、表現規制が増えてくるという環境の中にあるが、そんな業界でロマンにあふれ、チャレンジングスピリット旺盛な若手が育ったとして、本当に若手本人や組織はうれしいのだろうか。

若手本人はその培った旺盛なチャレンジングスピリットを活かそうにも、斬新な番組を作るよりも手堅く視聴率を積み上げる番組を着実に作っていった方が社内的に評価されるのであれば、(そんな環境でロマンあふれる若手が育てられる可能性がそもそも低いのだが、)ジレンマだけが募っていくことになる。

また、なにより組織が「学習能力の高い若者たち」を好んで採用しているのであるのなら、テレビ局全体として求めるのは「ソツなく手堅い番組制作をこなす人材」であることの証左ではないのか。

もしも、その状況を打ち破ってでもロマンあふれる若手を育成することが、何よりもテレビ局に必要だと佐藤氏が考えるのであるならば、「現在のバラエティ番組の低迷の最大のネックは、ディレクターたちの学習能力の高さかもしれないとよく思」っている場合ではないはずだ。

とはいえ、クリエイティブ職にオリジナリティは必要


しかしながら、当然ながらヒット番組の研究・トレースだけではディレクターとしてやっていきにくいのも事実だ。
1つのスタイルが成功しても、それはやがて古びて陳腐化していくわけで、やはり常に新しいスタイルの番組を彼らは追い求めていかなくてはならない。10月に30周年を迎える「笑っていいとも」でさえも、2年前と番組構成は目に見えて違うのだ。

それでは、現場は「学習能力の高い若者」に仕事を教えているのだろうか。
もちろん、仕事内容的にも人材育成は属人的で、上司によってまちまちではあるのだが、ここでは他局のディレクターからも尊敬され、今年の27時間テレビでも石橋貴明に「帰って来い」と言わしめた片岡飛鳥氏(現在はコンテンツ事業局コンテンツ映像センター室長)が、「ガキの使い」などで有名な放送作家である高須光聖氏と対談した際の記事から一部を引用して、その様子を垣間見る。


高須 「ごっつ」やら「笑う犬」のディレクターの小松もきっちり笑いを作れるディレクターとしてすごいねんけど、下に弟子のような若手が育ってるかというと、どうもそれも無い感じがすんねんなぁ〜。

片岡 うーん、人のことは分からないけど、そうなのかなぁ。
あのね、若手を育てるってことで言えば僕が育ててるとしたら、それは僕自身の経験から来てるんだよね。
僕の師匠に当たる、三宅さんや吉田さんってディレクター陣は、ホントはあんまり教えてくれなかったの。

高須 あはは(笑)。そうなの?

片岡 そうそう。具体的なことは一切言わないっていうか、少なくとも当時の僕は、そんな気がしてた。
だけど、それが良かったのよ。
教えられすぎずに、20代で独り立ちしなきゃならないような流れになって、じゃあ先輩陣に似ないようにしよう、と思ってきたから。

片岡 でも、今の自分の状況を見ると、戸渡(めちゃイケの若きディレクター)居るでしょ、あいつにはホントに「教えてきた」って思うなぁ。
かつてはもう、本当に手取り足取り。
彼は三宅班の空気を吸ったこともなかったし、 最初は全く笑いの要素は無かったじゃない?
だけども彼は、頭が良かった。
学習して、吸収できる力があるように思えたから、俺は彼には教えればいいんだ、教えれば分かるだろうってことで、とことんいろんなことを言葉にして教えてみたわけ。
だけど、教え込んだら教えこんだで、今度は「オリジナリティ」の問題が天秤にかかってくることが分かった。
そういう意味では、俺は先輩達に具体的にはほとんど「教わってなかった」からね。
そこが図らずも自由だったっていうのはあると思う。

高須 うん。

片岡 先輩の背中を見て、ほとんど背中だけを見て、「俺は真似しないぞ」ってところから入ってる分、オリジナリティに関しては入り口が広かったわけ。
それは、今になればかなり得してたと思う。
ところが戸渡がはじめて「めちゃイケ」のコーナーを担当して作った時に、めちゃイケ流のテロップをきれいに踏襲してたのよ。
それはものすごく衝撃があった。
俺は彼に、そういうテロップにしなさい、なんて一言も言わなかったのに、彼はそうした。
これが何とも微妙でさぁ(苦笑)。
俺が教えてしまった「めちゃイケ」ってもののパッケージ感が強すぎたのかなぁって思っちゃったりして、やや複雑だったわけ。
彼がものすごく優秀であるとして、 俺が何かを教えることができてたとして、じゃあその次…「戸渡というディレクターの誰にも似てない色」って
何色なんだろうか、と。
戸渡ディレクターのオリジナリティーというものが、この世界で食っていく上では問われていくよね。
ただ彼は、俺の教えたことはすごく速く吸収してた。 それは確か。

高須 いや、戸渡は優秀やって。
ホントに短期間で覚えたなぁって、作家として思ったもん。
…俺、実を言うと、番組始まったころ戸渡って人間はお笑いのディレクターとして「向いてない」と思っててん。

片岡 あ、それはそうだよ。決して向いてるわけじゃないよ。

高須光聖オフィシャルホームページ「御影屋」>「御影歌」>「片岡飛鳥」から引用


高須氏は同じ対談で「企画でも編集でも何もかも、最後に決定権持つのはディレクターやんか。俺ら(放送作家)の企画をチョイスするのも、具体的にするのもディレクター。演者に「おもしろいからやりたい」と現場で説得するのもディレクターだし「よし、それは面白そうだ」と思わせるのもディレクターやん。結局、ディレクターの力量ってものが番組にとっては大きい。番組ってある意味、演者とスタッフの信頼関係だったりするからその一番のジョイントはやっぱりディレクターなんよねぇ。」と述べていた。

実際に番組制作の中枢を担うディレクターに必要な創造力・独創性は、確かに純粋に「仕事を教える」だけでは後輩には引き継がれない。
そこはやはり、冒頭の文庫を執筆した佐藤氏が「実験を重ねるしか道はない」と語る通り、試行錯誤して失敗したり何かを掴んだりを繰り返しながら、培っていくしかないのだろう。

しかし、そこで失敗が相対的に大きなマイナスとして評価されるような組織の中では、その体験もなかなか叶わない。
将来の成長のために必要な人材育成を、分かっていながらも構造的な要因で行えないというのが、ピークを過ぎた大企業の特徴と言ってしまうと、風呂敷の広げすぎだろうか。